小麦畑の風に抱かれて

不思議

広大な小麦畑が広がるその村には、毎年黄金色の波が風に揺れる季節が訪れる。
風が吹くたび、小麦の穂がさらさらと音を立て、まるで何かを語りかけるようだった。
村のはずれにぽつんと建つ古びた家には、ひとりの少女が暮らしていた。
名前はミナ。
十二歳の春を迎えたばかりだった。

ミナの両親は五年前、嵐に見舞われた小麦畑を守ろうとして事故に遭い、帰らぬ人となった。
以来、村の人々の助けを受けながら、ミナは家と畑を守ってきた。
村の誰もが、ミナの勤勉さと健気さを知っていたが、ミナはそれを誇りには思っていなかった。
ただ、両親が愛したこの畑を守ることが、自分に残された唯一の役目だと信じていた。

畑の中央には一本の大きなクルミの木が立っていた。
それはミナの母が植えた木で、村の言い伝えでは、「この木に祈りを捧げると畑が豊かになる」とされていた。
けれどミナは、祈りよりも毎日の努力の方が大事だと思っていた。
水を運び、雑草を抜き、虫を追い払う。
そんな地道な作業を毎日続けることで、小麦は黄金に輝き、秋には村一番の豊作をもたらした。

ある夏の日、ミナは畑の端で不思議なものを見つけた。
青いリボンが風に飛ばされ、小麦の穂に引っかかっている。
それは村の祭りで使われるものに似ていたが、こんな場所にあるはずがない。
ミナはそれをそっと手に取り、空を見上げた。
風は柔らかく、まるで誰かが微笑んでいるように心地よかった。

その夜、ミナは夢を見た。
金色の小麦畑を駆ける少女がいた。
どこかミナに似たその少女は、手に青いリボンを持ち、笑いながら風と遊んでいた。
やがて少女はクルミの木の下に立ち止まり、ミナに向かって手を差し伸べる。
「こっちへおいでよ」と、その声は優しく、懐かしかった。
ミナはその手を取ろうとするが、目が覚めた。

翌日から、ミナは畑に出るたび、誰かに見守られているような感覚を覚えるようになった。
クルミの木の下に座ると、遠くから聞こえる母の歌声や、父の笑い声が風に乗って届く気がした。
ミナは両親がずっとこの畑を見守っていることを、ようやく感じることができたのだ。

それから数日後、村では毎年恒例の収穫祭が開かれた。
村人たちはお互いの畑の出来を讃え合い、歌い、踊る。
ミナも招かれたが、どうしても畑を離れる気になれず、ひとりクルミの木の下で空を見上げていた。

そのとき、また風が吹いた。
どこからか青いリボンが飛んできて、ミナの足元にふわりと落ちた。
ミナがそれを拾い上げると、ふわりと風が耳元で囁いた。
「ミナ、大丈夫よ。ここはずっと、あなたの畑だよ。」

ミナの目から涙がこぼれた。
畑はただの作物を育てる場所ではなく、両親との思い出が詰まった場所だった。
風はいつも、両親の愛を運んできてくれていたのだ。

秋、ミナの畑は再び村一番の豊作となった。
黄金の小麦は空に向かって光を反射し、村の人々はミナの努力を讃えた。
ミナはにっこりと笑い、クルミの木に背を預けながら、風にそっと囁いた。
「お父さん、お母さん、ありがとう。これからも見ていてね。」

風が答えるように、優しくミナの髪を撫でた。
青いリボンが風に舞い、どこか遠くへと飛んでいく。
ミナはその先に、両親が待つ未来があるような気がした。

小麦畑は今日も黄金色に揺れている。
そこには、ミナと風と、そして目には見えない家族の物語が、静かに息づいていた。