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名前のない余白

その余白には、名前がなかった。ページの中央でも、端でもない。文章と文章のあいだに残された、ほんの指一本分の空白。誰もそこを読もうとしないし、そこに意味があるとも思わない。けれど私は、その余白がひどく気になっていた。古い記録庫で働き始めて三年...
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世界が息を止めた一秒

その一秒は、誰にも気づかれなかった。朝の交差点で、信号が変わる直前。風がビルの隙間を抜け、コーヒーの匂いが漂い、誰かのイヤホンから漏れた音楽が空に溶ける、その瞬間だった。世界は確かに、息を止めた。音が消えたわけではない。色が失われたわけでも...
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私以外が知っている結末

街のあちこちで、人々が私を見るたびに一瞬だけ視線を逸らす。まるで答えを知っている生徒が、質問されたくなくて目を伏せるみたいに。その理由を、私はずっと考えていた。この世界では、物語の結末が共有される。誕生した瞬間、名前と一緒に「終わり」が登録...
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それでも夜は明けてしまう

夜は、終わらないものだと思っていた。少なくとも、あの部屋の中では。カーテンを閉め切った六畳の部屋には、時計もカレンダーもない。時間を示すものは、冷めたコーヒーの苦さと、スマートフォンの画面に浮かぶ未送信のメッセージだけだった。外界とつながる...
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ここではない、どこかへ

その場所へ行く方法は、地図にも時刻表にも載っていなかった。ただ、「ここではない、どこかへ行きたい」と強く思ったときにだけ、道がひらくのだと噂されていた。駅でも、扉でも、鏡でもない。夕暮れの境目、街の輪郭が少し曖昧になる時間帯に、世界の継ぎ目...
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きっと誰かの途中

それは、きっと誰かの途中の物語だった。駅前の古いベンチに、読みかけのノートが置かれていた。表紙は擦り切れ、雨に滲んだ跡が残っている。誰かが忘れたのか、それとも置いていったのかは分からない。ページを開くと、物語は唐突に始まり、そして同じくらい...
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時間はそこに置かれていた

町の外れに、使われなくなった駅があった。線路は途中で途切れ、時刻表は白紙のまま色あせている。けれど、その駅にはいつも同じものが置かれていた。――時間、だった。それは形を持たず、音もなく、ただ「そこにある」という感覚だけが確かだった。ベンチの...
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記録されなかった瞬間

世界には、すべてを記録する装置があった。街角の会話も、すれ違いの視線も、心拍の揺れさえも、秒単位で保存される。人々はそれを「完全な記憶」と呼び、失われるものはもうないと信じていた。私の仕事は、その記録を管理することだった。無数の瞬間が収めら...
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夢の続きが落ちている場所

夜明け前、街のはずれにある古い高架下には、夢の続きが落ちている場所があるという噂があった。それは紙切れのように風に舞うわけでもなく、石のように重く沈むわけでもない。ただ、気づいた人の足元に、静かに「そこにある」。私はその場所を知ってから、眠...
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未送信の未来

未来からの手紙は、すべて未送信のまま保存される仕組みになっていた。理由は単純で、未来はまだ確定していないからだ。送信された瞬間に「一つの未来」へ固定されてしまうことを、人類は恐れた。だから未来通信局では、誰かに宛てて書かれた無数の文章が、送...