面白い

笑い声が先に帰る日

その日は、夕方になると笑い声だけが家へ戻っていった。人はまだ街に残っているのに、声だけが先に帰る。商店街の角で聞こえたはずの高い笑いは、次の瞬間には空き家の玄関先に落ちていて、ドアの隙間から中へ滑り込んでいく。乾いた靴音やため息は取り残され...
面白い

つまらないを回収する仕事

私の仕事は、「つまらない」を回収することだ。正式には感情環境整備課・無価値感情回収係。けれど誰もそんな長い名前では呼ばない。私たちはただ、「つまらないを集める人」と呼ばれている。つまらないは、放っておくと街に溜まる。通勤電車の隅、会話の途切...
面白い

感情の自動販売機

夜の終電が通り過ぎたあと、商店街のはずれにある路地に、その自動販売機は立っていた。赤でも青でもない、名前のつけられない色で光る箱。ボタンの横には「感情 一本」とだけ書かれている。値段はどれも同じ、百円。最初にそれを見つけたとき、私は故障だと...
面白い

きみが増える朝の物語

朝になるたび、きみは増えた。最初は一人だけだった。台所の窓辺で、湯気の向こうに立っている、昨日と同じ声、同じ背中。その存在が当たり前すぎて、私は異変に気づかなかった。二日目、きみは二人になった。歯磨き粉の泡を吐き出す私の背後で、ほとんど同時...
面白い

落とし物センター(未来課)

市役所の地下三階にある落とし物センターには、案内板に載っていない部署がひとつある。「未来課」。正式名称はもっと長いらしいが、誰も正確には覚えていない。未来課に届けられるのは、財布や鍵ではない。まだ起きていない出来事の落とし物だ。私が配属され...
面白い

明日を先に笑う人

その人は、明日を先に笑う人だった。まだ起きていない出来事の結末を知っているわけでも、未来が見えるわけでもない。ただ、明日について話すときだけ、少しだけ早く笑う。今日の話題では笑わないのに、明日の話になると、まるでもう一度それを思い出している...
面白い

世界のバグを見つける係

私の仕事は、世界のバグを見つけることだ。正式な肩書きは「現実整合性監査員」だが、そんな名前を覚えている人はいない。そもそも、私の存在自体が多くの人にとってはバグのようなものだった。バグは派手に現れない。空が裂けたり、人が突然消えたりはしない...
面白い

世界が思い出す前に

世界には、忘れる速度がある。人が思い出すよりも少しだけ早く、出来事は背景へと溶けていく。その速度を測る仕事を、私はしていた。正式な職名は「記憶観測員」。けれど実際には、世界が思い出す前に消えてしまうものを、そっと書き留める係だ。観測室は街の...
面白い

心拍より遅い手紙

この町では、手紙は心拍より遅く届く。郵便局の壁にそう書かれた古い注意書きを、私は何度も読み返していた。赤茶けた文字は擦り切れ、まるで鼓動の数え方を忘れてしまった心臓のようだった。手紙を投函するとき、窓口の人は必ず尋ねる。「どのくらい遅くても...
面白い

記憶に残らない駅

その駅は、地図にも記録にも残らない。利用者もほとんどいないが、まったくいないわけでもない。ただ、誰もが降りた理由を思い出せないだけだ。私は確かに別の場所へ向かっていた。朝の通勤列車、いつもの時間、いつもの車両。気づけば扉が開き、身体が勝手に...