食べ物

白雪堂の餅

雪がちらつくある冬の日、古い商店街の角にある小さな和菓子屋「白雪堂」に、ひとりの青年が足を踏み入れた。名を拓也といい、二十代半ばの会社員である。彼は誰よりも餅を愛していた。子どものころ、祖母がついてくれる正月の餅の味に心を奪われたのがきっか...
動物

孤独な牙と小さな手

山の奥深く、古い樹々が風にざわめく森に、一匹の狼が棲んでいた。名をつける者もいないその狼は、ただ群れからはぐれた流れ者として生きていた。仲間を失ったのは数年前の冬のことだ。雪嵐の夜、獲物を追いかけて谷に迷い込み、気づけば一匹だけが生き残って...
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藁と生きる

山あいの村に、茂吉という男がいた。茂吉は幼いころから藁が好きでならなかった。田んぼから刈り取られた稲のにおい、手に触れたときのやわらかさ、束ねたときの頼もしさ。村の子どもたちが川で魚を追いかけて遊ぶ頃、茂吉はひとり、納屋に積まれた藁の山に潜...
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静寂を包む香

佐織は小さな木箱を開けた。中には整然と並んだ細長い棒状のお香や、丸く固められた練り香が入っている。色合いは地味だが、それぞれ微妙に違う香木や花の香りを宿している。彼女にとって、それは日常を整えるための宝物だった。仕事から帰ると、まずお香を選...
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レモンジンジャーの午後

大学を卒業してから、私はずっと同じ街に住んでいる。仕事は順調といえば順調だけれど、心のどこかにぽっかりとした空洞があった。毎日は繰り返しのようで、休日も家に閉じこもり、特別な趣味もなく過ぎていく。そんな私に、小さなきっかけを与えてくれたのは...
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きらめきの小箱

小さいころ、麻衣は母の裁縫箱を覗くのが好きだった。中には糸や針だけでなく、ガラスやプラスチックでできた色とりどりのビーズが詰まった小瓶がいくつも並んでいた。ふたを開けると、ころころと転がる音がして、それだけで胸がわくわくした。母はよく言って...
食べ物

潮騒の記憶

春の浜辺に吹く風は、ほんのりと潮の匂いを運んでくる。その匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、健太はしゃがみこんで砂を掘っていた。熊手の先が「コツン」と何かに当たると、心が躍る。すぐに指で砂をかき分けると、小さな殻が顔をのぞかせた。「やっぱり、...
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静かな熟成の中で

春が過ぎ、梅の実が青く膨らむ頃になると、遥はそわそわし始める。庭の片隅に植えられた梅の木は、毎年たっぷりと実をつけ、その一つひとつを摘み取るのが彼女の楽しみだった。六月の湿った空気の中、かごを手に梅の枝を見上げる。青々とした果実が陽を浴びて...
食べ物

かりんとう屋「ほのか」の物語

商店街の一角に、小さなかりんとう専門店「ほのか」がある。暖簾をくぐると、甘く香ばしい匂いが鼻をくすぐり、揚げたての黒糖かりんとうが木箱に並んでいる。その店を営むのは、五十代半ばの女性・佐和子だ。佐和子がかりんとう作りに目覚めたのは、母の台所...
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イランイランの香りに包まれて

休日の午後、涼子は小さなアロマランプに火を灯した。オイル皿に数滴落としたのは、イランイランの精油。ふわりと甘く、どこかエキゾチックで、同時に安らぎを与えるような香りが部屋に広がっていく。目を閉じると、潮風が吹く南の島の景色が脳裏に浮かんだ。...