食べ物

冬の灯、牡蠣小屋にて

玄界灘の潮風が冷たく吹きすさぶ冬の日、港町・佐賀の片隅にひっそりと建つ一軒の牡蠣小屋がある。「牡蠣焼き つばき屋」。プレハブ造りの簡素な建物だが、夕暮れになると白い湯気とともに人々の笑い声が漏れ出す。その日、暖簾をくぐって中に入ってきたのは...
食べ物

焼けたホルモンの向こう側

阿部拓真(あべ・たくま)、35歳。独身。趣味、ホルモンを焼くこと。焼くというより、「焼き加減を極める」と言ったほうが正しい。彼は週に四回は必ずホルモン専門の居酒屋へ足を運び、炭火の前で黙々と網の上の小腸やシマチョウ、ミノに向き合っていた。「...
食べ物

月のチョコパイ屋

静かな港町、蒼崎。潮の香りが町の隅々に染み込んだその場所に、一軒の小さなチョコパイ専門店があった。店の名前は「ルナ・パイ」。店主は三十代半ばの女性、木村千紗。もともとは都内の広告会社で働いていたが、ある日突然、仕事も家もすべてを手放し、この...
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ドクダミのにおい

古い木造アパートの二階。陽のあたらない北側の部屋に、百合子(ゆりこ)はひっそりと暮らしていた。部屋には特に目を引くものはなかった。シンプルなローテーブルに、畳の上に座布団。テレビもなく、代わりに窓際の棚には小さな急須と茶器が並んでいる。そし...
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ティッシュの哲学

高木亮(たかぎ・りょう)は、いわゆる“ティッシュマニア”だった。といっても、鼻炎に悩まされているわけでも、コレクターとして珍品を集めているわけでもない。彼の関心は「質」ただ一点に絞られていた。「柔らかさ」「吸収力」「破れにくさ」「肌への優し...
食べ物

梅干しと春の記憶

陽子(ようこ)は幼い頃から梅干しが好きだった。ただの好きではない。人がスイーツに目を輝かせるように、彼女は梅干しに心をときめかせた。「お弁当、今日も梅干しだけ?」母は時々、心配そうに尋ねた。ご飯の真ん中にぽつんと置かれた梅干し。それだけで陽...
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コバルトブルーの海

その海は、どこまでも青かった。空の青とも違う、群青とも紺碧とも違う、深くて澄んだ、どこか懐かしい色――コバルトブルー。まるで誰かの記憶の中からすくい上げたような、そんな色だった。遥は、毎年夏になると祖母の住む離島を訪れていた。島には電車も信...
食べ物

モッツァレラの向こう側

佐倉陽一(さくらよういち)は、どこにでもいる三十代のサラリーマンだった。営業の仕事は嫌いではないが、特別好きでもない。ただ一つ、彼の人生において確かな「情熱」と呼べるものがある。それが——モッツァレラチーズである。最初にモッツァレラを食べた...
冒険

ポメラニアンの大冒険 〜しっぽに宿る光〜

ある静かな森の外れ、小さな村の片隅に「ポン太」という名のポメラニアンが住んでいました。フワフワの金色の毛並みと、くるんと巻いたしっぽが自慢のポン太は、飼い主のミナと穏やかな日々を過ごしていました。しかし、ある夜のこと。空が赤黒く染まり、不気...
食べ物

小松菜日和

朝の光が差し込む小さなアパートのキッチンで、加奈(かな)は鼻歌を歌いながら包丁を握っていた。まな板の上には艶やかな緑色、小松菜。昨日スーパーで買ったばかりの新鮮な一束だ。「やっぱり、この香り……落ち着くなあ」小松菜といえば、ほうれん草の陰に...