ホラー

海の底の囁き

夏の夜、港町の古い桟橋には、今でも誰も近づかない時間がある。潮が一番満ちる丑三つ時。海面は静まり返り、風ひとつ吹かないのに、底から「声」が湧き上がるというのだ。大学生の悠真は、地元の友人からその噂を聞いた。都市伝説の類だと笑い飛ばしたが、ど...
食べ物

ブリと生きる港町

冬の港町は、潮の香りとともに冷たい風が頬を撫でていく。漁師町で生まれ育った健一にとって、この季節は特別だった。氷のような空気のなかで脂がのり、身が引き締まったブリが水揚げされる。それを待ちわびるのは漁師だけではない。町の人々も、そして健一自...
食べ物

小豆のぬくもり

幼いころから、由美はつぶあんが好きだった。白いおもちにのせられたあんこ、柏餅に包まれたあんこ、そしておはぎにぎっしり詰まったあんこ。そのどれもが、彼女にとっては特別なおやつだった。母が台所で小豆を煮る音を聞くと、胸が高鳴った。鍋のふたから立...
食べ物

おしゃれなひと口の魔法

街の片隅に、小さなサンドイッチ専門店「サヴォワール」があった。大きな看板もなく、外観はベージュ色の壁と木の扉があるだけ。だが、昼時になると店の前には、静かな行列ができる。それを目当てに訪れるのは、近くの会社員や学生だけでなく、わざわざ遠方か...
動物

森の歯医者さん ―アライグマ先生の診療室―

深い森の奥、木々の隙間から柔らかな光が差し込む場所に、小さな診療所がありました。丸太で作られた壁に、白い木の看板。その看板には「アライグマ歯科」と書かれていて、森の動物たちはそこを「先生のところ」と呼んでいました。先生の名前はリクト。器用な...
食べ物

バニラ色のひととき

佐伯真琴は、どんなに忙しい日でも必ず一日の終わりに小さな陶器のカップにバニラアイスをよそう習慣を持っていた。冷凍庫から取り出したばかりの固い白い塊を、少し力を入れてスプーンですくう。その音や感触さえ、彼女にとっては安らぎの儀式だった。仕事は...
面白い

木のおもちゃのぬくもり

陽介は三十代半ばの木工職人だった。彼の工房には、削りかけの木片や、乾燥させた板、そして色とりどりの木のおもちゃが並んでいた。積み木、車、動物の形をしたパズル……どれも角が丸く磨かれ、手にしたときに温かみを感じるよう工夫されている。子どものこ...
面白い

雲の手紙

子どものころから、空を見上げるのが好きだった。遊び仲間が鬼ごっこに夢中になっているときも、僕は校庭の端に寝転び、流れる雲をじっと見ていた。羊の群れのように連なる雲、巨大な山のように立ち上がる雲、そして夕暮れに染まって燃えるような雲。形も色も...
動物

長寿の約束

むかしむかし、ある山里の外れに、小さな池がありました。池には一羽の鶴と、一匹の亀が仲良く暮らしていました。鶴は長い足で水面を歩き、空を飛ぶことができました。亀はのろのろと地を這い、重い甲羅を背負っていました。姿も暮らし方も違いましたが、二匹...
面白い

最後のコード

古びた木造の家の奥に、一本のギターが眠っている。ネックは少し反っていて、弦も錆びつき、音はかすかに歪んでいる。それでもそのギターは、誰かが奏でてくれるのを静かに待っていた。持ち主だったのは、今は亡き祖父・昭三(しょうぞう)。若い頃はブルース...