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おはぎ日和の店主

春の空気がまだ冷たさを残す三月の初め、商店街の端に小さな暖簾がかかった。白地に墨で「おはぎ日和」と書かれたその暖簾をくぐると、ふんわりと甘い香りが鼻をくすぐる。店主の名は 山村里穂。三十五歳。もともとは東京で事務職をしていたが、三年前に母を...
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ライ麦色の朝

駅前の小さなパン屋「クローネベーカリー」は、朝の7時になると必ず甘い香りとほんのり酸味を帯びた香りが混ざった空気に包まれる。それは店主・岡田信一が焼き上げる、看板商品のライ麦パンの匂いだ。その香りを求めて、毎朝必ず現れる客がいる。佐藤絵美、...
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赤いソースの記憶

佐伯美咲は、昼休みになると決まって社食には向かわず、会社の近くにある小さな洋食屋「グリル山本」に足を運ぶ。暖簾のように下がった赤いカーテンをくぐると、店主の山本が「いつもの?」と聞いてくる。美咲は笑って「もちろん」と返す。そう、彼女の「いつ...
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あたたかな一杯

冬の朝、窓の外には白い息を吐くように雪が降っていた。小さな喫茶店「すずらん」の厨房で、店主の美咲は玉ねぎを刻んでいる。包丁がまな板を打つ軽やかな音と、玉ねぎ特有の甘い香りが、まだ冷たい空気の中にゆっくり広がっていく。美咲がこの店で一番大切に...
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ベーグル日和

朝、目が覚めると同時に、結衣はベーグルのことを考える。もちっとした食感、香ばしい香り、焼きたての湯気。仕事に向かう前の慌ただしい時間でも、ベーグルだけは欠かせない。彼女がベーグルに出会ったのは三年前。ニューヨーク旅行の最終日、ホテル近くの小...
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たまご色のしあわせ

古川日和(ふるかわひより)がオムライスに恋をしたのは、小学二年生の夏だった。母が作ってくれた、ふんわりたまごに包まれたチキンライス。その上に描かれた不器用なケチャップのスマイルマーク。それが、どんな高級レストランの料理よりも、彼女の心を満た...
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あつあつの心

真冬の朝、空気は凍るように冷たいのに、陽子の心はどこか温かかった。それは今夜、久しぶりに「スンドゥブチゲ」を作ると決めたからだ。陽子は28歳の会社員。広告代理店で忙しい日々を過ごしていた。人付き合いはそこそこ、恋人はしばらくいない。でも、そ...
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桃のやさしさ

朝露がまだ残る夏の早朝、佐々木杏はいつものように、小さなキッチンで桃の皮を丁寧にむいていた。包丁を入れた瞬間に広がる甘い香りは、杏にとって一日の始まりを告げる合図だった。杏は静かな町の片隅で「こもれび喫茶」という小さなカフェを営んでいる。都...
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緑の香り、夏の記憶

ライムの香りがすると、沙季は小さく笑う。それは夏の記憶と結びついている。じりじりと照る太陽と、海辺の風と、氷が弾ける音。彼女の人生において、ライムはただの果物ではなかった。沙季がライムに出会ったのは、小学六年生の夏休み。母親に連れられて訪れ...
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炭火のぬくもり

東京の下町、商店街のはずれに、ぽつんと赤ちょうちんが灯る焼き鳥屋「とりよし」がある。暖簾をくぐると、炭火の香りと、じゅうじゅうと肉が焼ける音が出迎えてくれる。カウンターだけの小さな店を営んでいるのは、五十代の店主・吉田誠(よしだまこと)だ。...