午後三時になると、この町は少しだけやさしくなる。
学校の帰り道、わたしは商店街のはずれにある古い時計台の前を通る。
時計の針が三を指すと、町の空気がふわっと甘くなるのだ。
最初に気づいたのは、小学三年生の春だった。
「ほら、もうすぐおやつの時間だよ」
パン屋のおばあさんがそう言うと、焼きたてのクッキーを一枚おまけしてくれる。
八百屋のおじさんは、りんごを半分に切って「味見だ」と言ってくれるし、図書館の受付のお姉さんは、しおりをこっそりくれる。
不思議なのは、その時間だけ町の人たちが少しだけやわらかくなることだった。
ある日、わたしは友だちのユイと一緒に時計台のベンチに座っていた。
「ねえ、なんで三時になるとみんな優しいんだろうね」
ユイはクッキーをかじりながら言った。
「おやつの魔法じゃない?」
「そんなのあるかなあ」
ちょうどそのとき、時計台の中からコトンと小さな音がした。
わたしたちは顔を見合わせて、そっと扉を開けてみた。
中は思ったよりも広くて、古い歯車がたくさん並んでいた。
そしてその真ん中に、小さな机があった。
机の上にはガラス瓶がいくつも並んでいる。
ラベルには、こんな言葉が書かれていた。
「やさしさ 小さじ一」
「がんばった日の甘さ」
「ちょっとだけ元気」
「なにこれ……」
ユイが瓶を持ち上げると、奥から声がした。
「それはね、世界をやさしくする材料だよ」
びっくりして振り向くと、白いエプロンをつけた小さなおじさんが立っていた。
背丈はランドセルくらいしかない。
「ぼくは“おやつ係”。この町の三時を作ってるんだ」
おじさんは大きな歯車をくるくる回しながら言った。
「三時になるとね、みんな少し疲れてる。お腹もすいてるし、気持ちもカサカサしてくる」
それで、とおじさんはガラス瓶を指した。
「ここで甘さとやさしさを混ぜて、町に流してるんだ」
わたしたちはぽかんと口を開けた。
「でも最近、材料が少なくてね」
おじさんは困った顔をした。
「やさしさが足りないんだ」
ユイが首をかしげる。
「やさしさって作れるの?」
「作るんじゃなくて、集めるんだよ」
おじさんは窓の外を指した。
「落とし物を届けてくれたとき。
席をゆずったとき。
“ありがとう”って言ったとき。」
そういう瞬間に、小さな粒が生まれるんだという。
「それを集めて、おやつの時間に混ぜるのさ」
その話を聞いて、わたしは急に思い出した。
昨日、転んだ子にハンカチを貸したこと。
ユイが宿題を手伝ってくれたこと。
「それって……」
「そう、それも材料だよ」
おじさんはにこっと笑った。
「君たちの町はね、やさしさが多いから三時がうまくいくんだ」
その日から、わたしたちは少しだけ意識するようになった。
重そうな荷物を持っている人がいたらドアを開ける。
「ありがとう」をちゃんと言う。
泣いている子がいたら、そばに座る。
そうすると、不思議なことに本当に小さな光の粒が生まれて、ふわっと空に浮かぶのだ。
そして午後三時。
時計台の鐘が鳴るころ、町の空気は今日もほんのり甘くなる。
パン屋からクッキーの匂い。
公園では子どもたちの笑い声。
図書館ではページをめくる静かな音。
その全部のあいだを、目に見えないやさしさが流れている。
ベンチに座りながらユイが言った。
「ねえ、もしかしてさ」
「なに?」
「世界って、おやつの時間があるから優しいのかもね」
わたしはクッキーをかじって、うなずいた。
たぶん世界は、ときどき疲れる。
でも午後三時になると、誰かが甘さを混ぜてくれる。
それは大きな魔法じゃない。
クッキー一枚とか、
「どうぞ」の一言とか、
小さな親切とか。
そんなものを小さじ一だけ。
だから今日も三時になると、
世界は少しだけやさしい。


