夢の続きが落ちている場所

面白い

夜明け前、街のはずれにある古い高架下には、夢の続きが落ちている場所があるという噂があった。
それは紙切れのように風に舞うわけでもなく、石のように重く沈むわけでもない。
ただ、気づいた人の足元に、静かに「そこにある」。

私はその場所を知ってから、眠るのが少し怖くなった。
夢を見終えたあと、続きを置き忘れてしまうのではないかと思ったからだ。

高架下はいつも薄暗く、昼でも夕方のような色をしている。
コンクリートの柱には無数のひびが走り、その隙間に、透明な欠片が溜まっていた。
触れると、ぬるりと温かい。
耳を近づけると、かすかな呼吸のような音がする。

それが夢の続きだった。

初めて拾ったのは、子どものころに見た夢の続きだった。
夏の午後、私は知らない駅で降り、誰かを待っていた。
名前も顔も思い出せないのに、会えなければならないと強く思っていた。
その続きが、高架下の柱の影に落ちていた。

欠片に触れた瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。
続きを思い出すというより、「続きを生きる」感覚に近かった。

私はその夢の中で、結局誰にも会えなかった。
けれど、夕焼けが駅の屋根を染めるのを見て、なぜか安心していた。
目が覚める直前に感じた、理由のない安堵。
それが、ここに落ちていたのだ。

夢の続きは、必ずしも幸福ではない。
謝れなかった言葉の先、選ばなかった道の先、戻らなかった場所の先。
誰かに手を伸ばす直前で目覚めた人の続きも、ここにはあった。

拾う人は多くない。
なぜなら、夢の続きは拾った人から、別の何かを奪っていくからだ。

私の場合は、現実の記憶だった。
夢を拾うたび、昨日の出来事が少しずつ曖昧になる。
誰と何を話したか、何を食べたか、そんな些細なことから消えていく。
代わりに、夢の感触だけが鮮明になる。

それでも私は通い続けた。
夢の続きには、現実にはない余白があった。
間違えても、やり直せなくても、ただ「そうだったかもしれない私」が、そこに存在していた。

ある朝、高架下で見知らぬ女性に声をかけられた。
「それ、拾わないほうがいいですよ」

彼女の足元には、拾われなかった夢が山のように積もっていた。
泣いているもの、笑っているもの、終わらないまま止まっているもの。

「続きを生きすぎると、戻れなくなるから」

私は手にしていた欠片を見つめた。
それは、まだ見ていない夢の続きだった。
今夜、見るはずだった夢の先。

少し迷ってから、私はそれを元の場所に戻した。
欠片は音もなく、他の夢に紛れていった。

その日から、私は眠る前に、夢にこう言うようになった。
「続きは、明日でもいい」

高架下には今も、夢の続きが落ちている。
拾う人を待ちながら、拾われないまま、静かに。