真夏の午後、陽炎がゆらめく砂浜に、ひときわ目立つカラフルなビーチボールが空を舞っていた。
強い海風に乗ってふわりと宙に浮かび、砂の上に落ちたかと思えば、また跳ね返って空を舞う。
そのビーチボールを、まるで宝物のように目で追っていたのは、ひとりの青年だった。
彼の名前は浩太。二十六歳。
小さな町工場で働く、ごく普通の青年だ。
ただひとつ、誰にも負けないくらい大好きなものがあった。
それが「ビーチボール」だった。
彼のビーチボール好きは、幼い頃にまで遡る。
両親が共働きで、夏休みも保育園に預けられていた浩太にとって、唯一の楽しみが年に一度の海水浴だった。
父が買ってくれた赤と白のビーチボール。
それを抱えて浜辺を走り回った記憶が、今でも鮮明に心に焼き付いている。
「なんでそんなに好きなの?」と友人に聞かれることもあったが、浩太はいつも「見てるだけで、なんか元気になるんだよ」と笑った。
軽くて、柔らかくて、風に踊るビーチボール。
自分もあんなふうに、軽やかに自由に生きてみたいと、密かに願っていた。
そんな彼には夢があった。
それは「自分だけのビーチボールを作る」ことだった。
誰も見たことがないような、美しくて、触れた人が思わず笑顔になるようなビーチボールを作りたい。
それが、彼の小さな、でも確かな夢だった。
工場の仕事の合間に、浩太は独学でビニール素材の勉強をした。
夜な夜な自室で試作を繰り返し、失敗してはまたやり直す。
仲間からは「変わってるな」と笑われることもあったが、それでも彼はやめなかった。
そして、ある年の夏。
ついに彼は、自分の手で作り上げたオリジナルビーチボールを完成させた。
それは、太陽の光を受けて虹色に輝く、まるで万華鏡のような不思議な模様のビーチボールだった。
ふわりと空に放ると、キラキラと光を反射しながら空を舞う。
そのビーチボールを持って、浩太は近所の浜辺へ出かけた。
子どもたちが寄ってきて、「それ、すごくきれい!」と目を輝かせた。
彼はその様子を見て、胸が熱くなるのを感じた。
「もしよかったら、遊んでみる?」そう言ってボールを手渡すと、子どもたちは歓声を上げながら走り出した。
ビーチボールは、風に乗って笑い声と一緒に空へと舞った。
その日、夕暮れの砂浜でひとり立つ浩太の胸に、確かな実感があった。
「俺のビーチボールが、誰かを笑顔にできたんだ」。
それだけで、何年もかけた努力が報われたような気がした。
それから数年。
浩太は小さな工房を立ち上げ、オリジナルビーチボールの製作・販売を始めた。
口コミで少しずつ評判が広がり、今では全国から注文が届くようになった。
ビーチボールに願いごとを書く「風願ボール」や、夜に光る「星空ボール」など、彼の発想は尽きることがなかった。
けれど、どれだけ忙しくなっても、浩太は夏になると必ずあの浜辺へ行く。
そして、自分が最初に作ったあの虹色のビーチボールを、そっと空へと放るのだった。
ビーチボールがくるくると宙に舞う。
太陽に照らされて、今も変わらず、きらきらと輝いている。
「やっぱり、これが一番好きだな」
そうつぶやく浩太の顔には、あの日の子どものような笑顔が戻っていた。