青空が広がる小さな港町。
潮風に混じって、ほんのりとオリーブの香りが漂う。
ここに住む美咲(みさき)は、オリーブオイルに強いこだわりを持つ女性だった。
彼女がオリーブオイルに魅せられたのは、イタリアで過ごした大学時代のこと。
ホストファミリーのマリアが手作りのオリーブオイルを使った料理を振る舞ってくれた日のことを、今でも鮮明に覚えている。
パンに軽く塩を振り、オリーブオイルを垂らしただけなのに、それまでに食べたどんな料理よりも深い味わいがあった。
「オリーブオイルはね、木の恵みそのものなのよ」
マリアの言葉を聞きながら、美咲はオリーブ畑を駆ける風の匂いを感じた。
それ以来、彼女の人生にはオリーブオイルが欠かせないものとなった。
日本に帰国後、美咲は料理教室を開き、最高のオリーブオイルを求める日々を送った。
だが、ある日、大手食品会社の営業担当者がやってきてこう言った。
「うちのオリーブオイルを使っていただけませんか?市場シェアNo.1の人気商品です」
差し出されたボトルを見て、美咲は眉をひそめた。
そのオイルは精製され、混ぜ物が多いことを彼女は知っていた。
ラベルには「エキストラバージン」と書かれていたが、彼女が理想とするものとは程遠かった。
「申し訳ありませんが、私は本物しか使わないんです」
営業担当者は驚いた表情を見せた。
「ですが、市場で売れているのはこちらのオイルですし、お客様にも馴染みがありますよ」
「私は、自分が心から信じられるものしか提供しません」
その言葉に、営業担当者は何も言えなくなった。
しかし、こだわり続けることは簡単ではなかった。
良質なオリーブオイルは高価であり、料理教室の運営も厳しくなっていった。
周囲からは「そんなにこだわらなくてもいいのでは?」と何度も言われたが、美咲は揺るがなかった。
そんなある日、一通の手紙が届いた。
それは、イタリアのマリアからだった。
「美咲、あなたのこだわりが本物なら、私の家のオリーブオイルを日本に届けてみない?」
彼女の心が震えた。マリアの家のオリーブは、彼女が最も愛する味だった。
美咲はすぐにイタリアへ向かい、マリアのオリーブ畑を訪れた。
黄金色のオイルをひと匙舐めた瞬間、彼女は確信した。
「これだ……これを、日本の人たちに届けたい!」
帰国後、美咲は自ら輸入業を立ち上げ、マリアのオリーブオイルを直接日本に届けることを決意した。
最初は注文が少なく、試練の連続だったが、料理教室の生徒たちが口コミで広め、次第にその評判は広がっていった。
「美咲先生のオリーブオイル、本当に美味しい!」
「こんなに香りが豊かで優しい味のオイルは初めて!」
やがて、美咲のオリーブオイルは多くのレストランやシェフにも愛されるようになり、彼女の信念は実を結んでいった。
ある日の夕暮れ時、教室の片隅で美咲はオリーブオイルを小皿に垂らし、パンを浸して口に運んだ。
「マリア、本当にありがとう」
その味は、あの日イタリアで初めて口にしたものと同じだった。
彼女のこだわりは、ようやく形になったのだった。
──オリーブの恵みを、心を込めて届けるために。