願いを込めた恵方巻

食べ物

恵方巻には願いを込めると叶う——その言い伝えを、浩一(こういち)は子供の頃から信じていた。

幼い頃、病弱だった浩一は、節分の夜に母が作ってくれた恵方巻を、恵方を向いて無言で食べることで「元気になりますように」と心の中で願った。
その年の春、浩一は奇跡のように体調を崩すことが減り、次第に健康を取り戻していった。
その経験があって以来、彼にとって恵方巻はただの節分の食べ物ではなく、「願いを叶える神聖なもの」になっていた。

***

それから二十年の歳月が流れ、浩一は東京の小さな会社で働く普通のサラリーマンになった。
仕事に追われ、生活も忙しく、節分を意識することも少なくなっていた。
だが、今年の節分は特別だった。

彼には、どうしても叶えたい願いがあった。

「美咲(みさき)にプロポーズを成功させたい」

美咲とは大学時代から付き合っており、かれこれ七年が経つ。
彼女は明るく、気遣いができる女性で、浩一にとってかけがえのない存在だった。
しかし最近は仕事が忙しく、彼女を寂しがらせることも増えていた。

「本当に、このままでいいのだろうか」

そんな不安を抱えながらも、浩一は決意した。
節分の夜、美咲と一緒に恵方巻を食べ、その瞬間にプロポーズの願いを込めるのだ。
昔のように、願いを込めればきっと叶う——そう信じて。

***

節分当日、浩一は会社を早めに切り上げ、美咲の好きな具材をたっぷり入れた特製恵方巻を自分で作った。
海老、卵焼き、椎茸、かんぴょう、きゅうり、マグロ、そして美咲の大好物であるアボカド——七種類の具材を丁寧に巻いた。

「お待たせ、美咲!」

夜、美咲の家に着くと、彼女は驚いたように笑った。

「えっ? 恵方巻、作ってきたの?」

「うん。ちゃんと願いを込めながら食べようと思って」

美咲は少し不思議そうな顔をしながらも、嬉しそうに「じゃあ、食べよう!」と恵方を調べ始めた。

「今年の恵方は…南南東だね!」

二人は静かに南南東を向き、それぞれの恵方巻にかぶりついた。
無言で、ただただ噛み締める。
浩一は心の中で強く願った。

(どうか、美咲がプロポーズを受け入れてくれますように——)

恵方巻を食べ終えた瞬間、浩一は深呼吸をし、ポケットから小さな箱を取り出した。

「美咲」

彼女は驚いて目を丸くした。

「俺と結婚してくれないか?」

部屋の中に静寂が訪れる。
美咲は浩一をじっと見つめ、それからゆっくりと微笑んだ。

「……はい」

その一言が、何よりの答えだった。

***

数か月後、二人は結婚式を挙げた。

「そういえば、恵方巻の願い、叶ったね」

美咲が笑いながらそう言うと、浩一は照れくさそうに頷いた。

「うん。やっぱり、恵方巻の力はすごいな」

そして彼らは、毎年の節分を大切にすることを決めた。

浩一にとって恵方巻は、ただの食べ物ではない。

それは「願いを叶える奇跡の巻物」なのだから。