田中太郎は、幼い頃から餅が大好きだった。
彼が初めて餅を口にしたのは、三歳の正月だった。
その年、おばあちゃんが丹精込めて作った手作りの鏡餅が、彼の人生を変えたと言っても過言ではない。
ふわふわで弾力のある食感と、ほんのり甘い味わい。
その時の感動は、彼の心に深く刻まれた。
太郎が大人になるにつれて、餅への愛はますます深まった。
小学生の頃、彼は学校の自由研究で「餅の歴史と作り方」をテーマに選び、地域の餅つき大会に参加して本格的な杵と臼を使った餅つきを体験した。
その後、中学生になると、全国の名物餅を調べることに夢中になった。
特に、草餅、桜餅、きな粉餅など、地域ごとの特色が光る餅に興味を持ち、家族旅行の際には必ず現地の餅を食べることを楽しみにしていた。
高校時代、太郎は餅愛をさらに追求するために料理部に入部した。
部活動では、餅を使ったオリジナルのレシピを開発するのが彼の専門となり、部員たちからも一目置かれる存在になった。
ある日、彼は「餅のスイーツ化」をテーマに、苺大福をアレンジしたカスタード入りのフルーツ大福を作り出した。
その美味しさは評判を呼び、文化祭では長蛇の列ができるほどだった。
大学に進学すると、太郎はさらに餅について深く学ぶため、食品科学を専攻した。
彼は餅の製造工程や保存技術について研究し、日本各地の餅職人を訪ね歩いた。
その中で、彼が最も感銘を受けたのは、宮城県の伝統的なずんだ餅の作り方だった。
豆の鮮やかな緑色と餅の純白が織りなす美しいコントラストに心を奪われた彼は、この伝統を次世代に伝えるべく、自らもずんだ餅作りを習得した。
卒業後、太郎は念願の餅専門店を開業した。
店名は「もちもちの幸」。
店内は和の雰囲気が漂い、入り口には杵と臼が飾られている。
メニューは、定番のきな粉餅や磯辺焼きから、創作性豊かなフルーツ大福や餅アイスクリームまで多岐にわたる。
特に、季節限定の桜餅パフェや柿餅スムージーは地元の人々から大人気だった。
ある日、店に年配の女性が訪れた。
その人は太郎のおばあちゃんだった。
太郎が餅好きになるきっかけを作った本人だ。
おばあちゃんは「こんな立派なお店を作るなんて、太郎は本当に餅の申し子だね」と涙を流して喜んだ。
太郎も「おばあちゃんが最初に作ってくれた餅が、僕のすべての始まりだったんだ」と感謝を伝えた。
その後、太郎の店は口コミで広がり、観光地としても有名になった。
彼は地域の餅文化を守るため、餅つき体験イベントや子ども向けの餅料理教室を開催するようになった。
こうして太郎の餅愛は、多くの人々に幸せを届ける形で広がっていった。
今では、太郎の店は全国の餅好きが集まる場所となり、彼自身もテレビや雑誌で取り上げられるようになった。
しかし、彼の心にあるのはいつも、あの三歳の正月に食べたおばあちゃんの餅だった。
それは、彼の原点であり、これからも彼を支え続ける特別な味だった。