ひまわり畑の約束

面白い

夏の終わりが近づくある日、遥(はるか)は久しぶりに祖母の住む田舎町を訪れた。
駅を降りると、蝉の声が耳をつんざき、強い陽射しが肌を刺した。
遠くに見える山々と田んぼの緑は、子どもの頃と何も変わっていない。

祖母の家は町外れにあり、そこには広いひまわり畑があった。
背の高いひまわりが空に向かって咲き誇り、風に揺れては小さくざわめいていた。

「おばあちゃん、まだひまわり、育ててるんだね」

祖母は笑いながら、縁側に腰を下ろした。

「そうさ、あんたが小さい頃、ひまわりの花の数だけ願いが叶うって信じてたじゃろ。覚えとる?」

遥は懐かしさに胸が締めつけられた。
小学生の夏休み、彼女は毎日ひまわりに水をやりながら、「お母さんが元気になりますように」と祈っていた。

遥の母は病弱で、遥が十歳のときにこの世を去った。
その年の夏、母のために植えたひまわりは、まるで空を見上げるように咲き、遥の心をわずかに癒してくれた。

「あのときのひまわり、きれいだったな…」

「ひまわりは太陽に向かって咲くけん、見てるだけで元気になるじゃろ。あの子も、あの花が好きだった」

祖母は少し目を細めて、空を見上げた。

翌朝、遥は早起きして畑に向かった。
濃い朝露をはじきながら、ひまわりたちは今日も力強く空に顔を向けていた。
ふと、一輪だけ違う方向を向いている花に気づく。
ほかの花たちが東を向く中、それだけが西の空を見つめていた。

「どうしてあなただけ、逆を向いてるの?」

声に出してみたが、答えが返るわけもない。
それでも、何か意味があるような気がして、遥は毎日そのひまわりに水をあげるようになった。

ある日、祖母が言った。

「あの花だけ、いつも違う方向向くのよ。不思議じゃけど、まるで誰かを待ってるみたいにね」

遥はその言葉に胸を突かれた。
まるで、自分のことを見つめているような気がしたのだ。

東京での生活に疲れていた遥は、何をしたいのか、自分が何者なのかもわからなくなっていた。
広告会社での激務、上司とのすれ違い、未来への不安。
ひまわり畑の静けさは、そんな心のノイズを少しずつ洗い流していった。

ある晩、祖母が古い箱を持ち出してきた。
中には母の写真や日記帳が詰まっていた。

「これ、今なら読めるんじゃないかと思って」

遥は震える手で日記を開いた。
そこには、母が闘病しながらも、遥や祖母への感謝を綴っていた。

《ひまわりのように、どんなときも笑っていたい。遥が悲しまないように、強くいよう》

その言葉に、遥は静かに涙をこぼした。
ひまわりは、ただ太陽に向かって咲く花ではなかった。
誰かを思い、信じる力の象徴だった。

東京に戻る日、遥は逆向きに咲くひまわりに別れを告げた。

「ありがとう。あなたに会えてよかった」

それから遥は、自分の働き方を見直し、少しずつやりたいことに向き合っていった。
写真を撮ることが好きだった遥は、地方を旅して風景を撮るようになり、やがて写真展も開くようになる。

初めての個展のタイトルは、迷わずこう決めた。

『ひまわりは待っている』

そこには、あの逆向きに咲いた一輪のひまわりの写真が、中央に大きく飾られていた。

それは、遥自身の再生と、母への想いが形になった一枚だった。