発酵という名の魔法

食べ物

春の風がやわらかく街を撫でる頃、佳子(よしこ)はパン作りに夢中になっていた。

最初のきっかけは、偶然だった。
数か月前、会社を辞めた。
十年勤めた事務職。
人間関係も仕事も、壊れるほどではないが、じわじわと心を削られるような日々に終止符を打ったのだ。
退職してからしばらくは、朝昼晩をぼんやり過ごした。

そんなある日、スーパーで見かけた小麦粉の棚に立ち止まった。
袋の裏に書かれた「はじめてのパン作り」という文字が妙にまぶしく見えた。

「パンなんて、オーブンに入れたらできるんでしょ?」

軽い気持ちだった。
だが、それは想像以上に奥深い世界だった。

初めて焼いたのは丸パン。
小麦粉、ドライイースト、塩、水。
混ぜて、こねて、寝かせて。
レシピ通りにしたはずなのに、生地は固く、焼き上がったパンはまるで石のようだった。

だが、そこに奇妙な魅力があった。
失敗したのに、嫌いになれない。
焼きたての香りが、あまりに優しくて、涙が出そうになったのを覚えている。

それからというもの、佳子は毎日パンを焼いた。
バゲット、フォカッチャ、ブリオッシュ、カンパーニュ。
YouTubeを見て、レシピ本を読み漁り、失敗と発見を繰り返した。

発酵の時間が好きだった。
生地がじんわりと膨らむのを見ていると、自分の心にも空気が入っていくようだった。
焦ることも、急ぐこともできない時間。だからこそ、誠実に向き合えた。

「今日のパン、またうまくいったね」

佳子はオーブンから取り出したばかりの角食パンに微笑みかける。
生地を成形するときに、ちょっとだけ空気を抜きすぎたせいか、少し片側が凹んでいる。
でも、いい香り。
パリッとした焼き色。
こんな些細なことが、嬉しい。

焼いたパンは、友人や近所の人にも配るようになった。
「この前のあんぱん、お店のより美味しかった」と言われた日、思わず玄関先でスキップしてしまいそうになった。

ある朝、佳子はノートを開いた。
そこには今までに焼いたパンの記録がぎっしりと詰まっていた。
気温、湿度、発酵時間、粉の種類、塩の量、失敗の理由、成功のコツ。

佳子は、ふと思う。

「パンって、生きてるんだな」

発酵の具合は天候に左右されるし、気温が高すぎても低すぎてもだめ。
湿度が変われば、粉の吸水率も変わる。
全く同じレシピでも、毎回まったく同じにはならない。

その「不確かさ」が、佳子の心をとらえて離さなかった。

やがて、近所の子どもたちが「パンのお姉さん」と呼ぶようになり、週末には小さな庭先で焼き立てパンを販売するようになった。
カゴに入れたメロンパンやチョココロネ。
季節の果物をのせたデニッシュ。
道ゆく人たちが足を止めては「いい匂い」と笑ってくれる。

仕事では数字と効率に追われた日々。
そこで得たスキルは何ひとつ役に立たないと思っていた。
でも今では、注文の管理も、仕入れの計算も、あの頃の経験が活きている。
過去が、今を支えていると知った。

焼き上がったパンを見つめながら、佳子はまた小さくつぶやく。

「パンって、ちゃんと待てば、応えてくれるんだな」

焦って手を出すと、生地は暴れてしまう。
けれど、信じて待てば、ちゃんと膨らんでくれる。
人の心みたいに。

明日は、ライ麦パンを焼く予定だ。
近くの農家で手に入れた蜂蜜を少し混ぜて、ほんのり甘い香りのパンにしよう。
午前5時に起きる必要がある。
でもそれを「苦」とは思わない。

パンと向き合う時間は、自分と向き合う時間になっていた。

そして今日も、キッチンの窓から差し込む朝の光の中、佳子はエプロンをしめ直す。

オーブンを予熱しながら、心は静かにふくらんでいた。