四国の片隅、小さな町工場に、世界一のタオルを織り上げた男がいた。
名を桐山宗一郎という。
宗一郎が初めてタオルを織ったのは、まだ二十歳のときだった。
父が営む小さな織物工場で、見よう見まねで機械を動かした。
織り上がったタオルは分厚く、ゴワゴワしていて、とても肌に優しいとは言えなかった。
それでも、宗一郎はその布を胸に当てて、しばらく目を閉じた。
「人の肌に一番近い布を作るって、なんてすごいことなんだろう」と思ったのだ。
だが時代は変わっていた。
安価な海外製品が市場を席巻し、父の工場は廃業寸前。
品質では負けていないと信じていたが、価格競争には抗えなかった。
「もう、辞めよう」と父は言った。
しかし宗一郎は、首を横に振った。
「俺は、“世界で一番気持ちいい”タオルを作りたいんだ」
それから宗一郎の人生は、まるで一本の糸のように、ただその夢に向かってまっすぐだった。
綿を変えた。通常の綿では満足できず、エジプトのギザ綿、アメリカのスーピマ綿、インドのオーガニックコットンを試し、やがて「今治産の海風綿」に行き着いた。
瀬戸内の潮風で育ったこの綿は、油分が豊富で、触れた瞬間に指が沈むような柔らかさがあった。
だが、それだけではまだ「最上級」ではなかった。
糸を撚る技術、織機の速度、湿度と温度の管理……ひとつでも気を抜けば、すぐに均質な仕上がりは崩れる。
宗一郎は何度も失敗し、夜を徹して織機を分解し、再組立てを繰り返した。
家族の時間も、恋人との未来も、すべてを犠牲にして、彼はタオルを織り続けた。
転機は、ある展示会だった。
「これは……まるで水のような肌触りだ」
老舗百貨店のバイヤーが、そっと頬にタオルを当てて呟いた。
宗一郎が完成させたタオルは、肌に触れた瞬間に水を吸い、乾きも早く、洗ってもふっくら感が落ちない。
そして何より、人の心を包み込むような優しさがあった。
ブランド名は、「祈布(きふ)」と名づけられた。
“祈りを織り込んだ布”という意味だ。
初めは地元の人々が、やがては海外の高級ホテルや王室にも届けられるようになった。
気づけば工場には、宗一郎の志に惹かれた若者たちが集まり、彼の技術と精神を受け継いでいった。
晩年、記者に「なぜそこまでしてタオルにこだわったのですか?」と問われたとき、宗一郎は静かにこう答えた。
「人は、産まれたときにタオルに包まれ、亡くなるときにもタオルに包まれる。
人生の始まりと終わりを包む布が、粗末でいいはずがないだろう?」
祈布のタオルは、今も世界中の誰かをそっと包み込んでいる。
宗一郎が織り込んだ“祈り”と共に。