面白い

クッションの森

佐伯奈々は、クッションが好きだった。それはもう、普通の「好き」ではない。ソファに並べるための数個では足りず、気がつけば部屋中が大小さまざまなクッションで埋まっていた。丸いもの、四角いもの、星型、ハート型、動物の形をしたもの。ふわふわ、もふも...
面白い

湯煙に宿るもの

冬の終わりが見え始めた三月のある日、早川千紘は一人、小さな山間の温泉地に降り立った。雪はまだ残っていたが、空気にはわずかな春の香りが混じり始めていた。千紘はとにかく「温泉」が好きだった。熱すぎず、ぬるすぎず、身体の芯からゆっくりと温まってい...
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土に還る男

会社を早期退職して半年、佐々木誠一(ささき せいいち)は毎日が退屈だった。若い頃から働きづめで、休みの日さえ何かしら予定を入れていた。だが、定年より少し早く会社を辞めてみると、時間の使い方がまるでわからなくなった。朝起きて、コーヒーを淹れて...
食べ物

一杯の奇跡

昼下がりの商店街、風に乗って漂ってくる魚介の香りに、佐伯茜(さえき・あかね)は無意識に鼻をひくつかせた。気がつけば、足は自然と馴染みの製麺所へと向かっている。「茜ちゃん、また来たの? 今度は何ラーメン試す気だい?」奥から顔を出したのは、店主...
不思議

ニラと光る猫

町外れのアパートに、ニラが大好きな男が住んでいた。名は島田光太(しまだこうた)、三十六歳、独身。スーパーの青果売り場で働く彼は、毎日規則正しく仕事を終え、まっすぐ帰宅すると、冷蔵庫に入っているニラの束を取り出しては、ニラ玉、ニラ炒め、ニラう...
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ラベンダーの丘で

山あいの静かな村に、ひとりの男がいた。名は佐久間慎一。年の頃は五十を過ぎ、髭には白いものが混じっていたが、背筋はまっすぐで、眼差しは少年のように澄んでいた。慎一は二十代の頃、東京の広告会社で働いていた。クリエイティブな仕事に憧れ、寝る間も惜...
食べ物

メンチカツの味

東京の下町、荒川区の一角に、昭和から続く小さな肉屋「肉のさいとう」があった。商店街の外れにあるその店は、外から見ればどこにでもある古びた店構え。しかし昼どきともなれば、店の前には長い行列ができる。その理由は、看板メニューの「メンチカツ」だっ...
不思議

琥珀色の美

朝、陽が差し込む台所で、千代はゆっくりとグラスにお酢を注いだ。リンゴ酢に蜂蜜をひとさじ。それをぬるま湯で割るのが、彼女の日課だった。かれこれ十年以上、毎朝欠かさず飲み続けている。理由はただひとつ。美しくあるためだ。「肌がつやつや」「血行がよ...
面白い

泡の向こうの約束

深夜のバーは、まるで時間が止まったように静かだった。東京・麻布の裏路地にひっそりと佇むその店「Étoile」は、看板も出していない。けれど、毎週金曜の夜十時になると、彼女は決まって姿を現す。名は、結城 澪(ゆうき・みお)。年齢不詳、職業不明...
不思議

トンネルの向こうで

町の外れに、誰も近づかない古いトンネルがある。鉄道用に掘られたものだが、線路はすでに撤去され、今では草と蔦に覆われたコンクリートのアーチがぽつんと残るだけ。地元の子どもたちは「幽霊トンネル」と呼び、夕暮れ時になると決して近づこうとはしない。...