食べ物

食べ物

黄身ひとつ、命ひとつ

「それ、カルボナーラじゃないから」午後八時。常連でにぎわうイタリアンバルで、店主・斉藤剛の声が飛んだ。店内は一瞬静まり返る。カウンターの客が一斉に視線を向けた先には、若いカップルが手を止めていた。男の方が呆然とフォークを握ったまま固まってい...
食べ物

白い猫とラングドシャ

東京・中目黒の裏通りに、ひっそりと佇む小さな焼き菓子のお店がある。ガラス張りの扉を開けると、バターとアーモンドの甘い香りがふんわりと鼻先をくすぐり、奥の棚には宝石のように美しいラングドシャクッキーが並んでいる。この店、「NekoLange(...
食べ物

枝豆の味を覚えている

夏が来ると、正木和也は決まって枝豆を茹でる。部屋の窓を全開にして、扇風機を首振りモードにしたあと、湯気を立てる鍋の前に立つのが彼の毎年の恒例行事だった。今年の夏もまた、暑い。茹でたての枝豆の湯気が、台所の小さな窓から立ちのぼる。塩をふりかけ...
食べ物

テールスープの香る場所で

冬の訪れを知らせる冷たい風が、東京の下町に吹き抜けていた。商店街の外れに、ひっそりとした食堂がある。「ヤマナカ食堂」と書かれた看板は、ところどころ塗装が剥がれ、年月を感じさせた。その食堂には、あるメニューがある。それは「テールスープ」だ。濁...
食べ物

チョコレートの欠片

「板チョコって、地味でしょ?」そう言って笑ったのは、遥(はるか)がまだ東京の菓子メーカーに勤めていた頃だ。営業部にいた彼女は、日々の数字に追われ、商談に追われ、夢なんて口にする余裕もなかった。「でも、私は板チョコが好き。混ざりものがないぶん...
食べ物

ロースハムの男

「違うんだ。これは“ロースハム”じゃない。ただの“ハム”だ。」薄く切られたピンク色の肉を前にして、男は眉間に深い皺を刻んだ。その名は岸川修一。五十を越えた独身男で、地元商店街では“ロースハムの岸川”として知られていた。人はなぜ、ロースハムに...
食べ物

かぼちゃ日和の午後に

「どうしてそんなに、かぼちゃが好きなんですか?」近所の子どもにそう聞かれて、僕は一瞬言葉に詰まった。理由なんて、考えたこともなかった。けれど、確かに僕はかぼちゃが好きだ。煮ても焼いても、蒸してもスープにしても、甘くて優しくて、どこか懐かしい...
食べ物

目玉焼きの朝

西山陽介(にしやま ようすけ)、35歳。独身。アパートの一室で静かに暮らしている。彼は派手な趣味もなく、社交的でもないが、一つだけ誰にも負けないほどの情熱を持っている。それは――目玉焼きだ。毎朝6時、陽介は目覚ましが鳴るよりも前に起きる。窓...
食べ物

もも飴と、ひとつぶの記憶

佐伯遥(さえきはるか)は、もも味の飴が大好きだった。それはもう、子供のころからの話で、ランドセルに忍ばせた小さな巾着袋には、必ず数粒のもも味のキャンディーが入っていた。甘くて、やさしい味。舐めると口いっぱいに春が広がるような気がした。「もも...
食べ物

なるとが主役の日

「なんでそこまで“なると”が好きなんだよ?」そう聞かれるのは、もう慣れっこだった。佐伯奏多(さえき・かなた)、高校一年生。彼は、ラーメン屋に行けばまず「なるとの量」を確認する。コンビニのカップ麺を選ぶ基準も、「なるとが入っているかどうか」。...