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あの布の青

夏の午後、陽射しの粒がガラス越しに降り注ぐアトリエで、由奈は古びたデニムをほどいていた。母から譲り受けたミシンの音が、リズムを刻むように響く。トントン、トントン。机の端には、色あせたジーンズの山。どれも形も色も違うが、どれも彼女にとっては宝...
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流れの向こうへ

五月の風がやわらかく頬をなでた。陽射しはやや強く、川面に反射してきらきらと輝いている。春休みの終わり、拓海は父の古いボートを持ち出して、ひとり川下りをすることにした。川は小学校の裏山を抜け、田んぼを横切って、町の外れまで続いている。昔は父と...
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勝手に動くおもちゃ

古びた木造の家の二階、ほこりをかぶったおもちゃ箱の中に、それは眠っていた。ゼンマイ仕掛けのブリキのウサギ。片方の耳が少し曲がり、ペンキの塗装もところどころ剥げている。名前は「ピップ」。かつてこの家に住んでいた少女・みゆが大切にしていたおもち...
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ヒヤシンスの香り

春の風が街の角を曲がり、古いアパートの窓辺に並ぶ鉢植えの花たちをそっと揺らした。その中で、ひときわ鮮やかに咲き誇るのは、薄紫のヒヤシンスだった。結衣はその香りが大好きだった。朝、仕事へ行く前にカーテンを開け、花に霧吹きをかける。ほんのり甘く...
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月のかけらで撫でる夜

夜の静けさが好きだった。外では秋の虫が鳴いている。窓を少し開けて、ベッドサイドの小さな灯りをつける。木製の棚の上に並ぶガラス瓶たち——ラベンダー、ローズ、ユーカリ。香りの違いを感じながら、今日も奈央は小さな儀式を始めた。手の中に、ひんやりと...
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毛布のぬくもり

冬が近づくたび、結衣は押し入れの奥から一枚の毛布を取り出す。淡いクリーム色のその毛布は、もうところどころ毛玉ができていて、端の糸も少しほつれている。けれど、柔らかくて、包まると安心する。どんなに寒い夜でも、その毛布があれば眠れるのだ。結衣が...
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帰り道の楓

村のはずれ、小さな川のそばに一本の楓の木が立っていた。春は淡い緑、夏は濃い影を落とし、秋には火のように赤く染まる。冬は裸になって雪を受け止め、また春を待つ。百年近く、変わらぬ場所で風に揺れ、人々の暮らしを見つめてきた。昔、この楓の木の下で、...
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水車のうた

山あいの小さな村のはずれに、一つの古い水車小屋があった。木でできた羽根はすり減り、苔むした輪が静かに回るたび、きしむ音が谷にこだました。村の人々は「もうすぐ止まるだろう」と言いながらも、その音にどこか安心していた。水車小屋を守るのは、七十を...
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ホップの丘で

春の風が吹き抜ける丘の上に、ひとりの青年が立っていた。名前は陽介。地元の小さなクラフトビール工房で働く、まだ二十代半ばの青年だ。彼の目の前には、青々とした蔓が支柱を這い上がっている。ホップ畑――ビールの香りを決める、緑の宝石のような植物だ。...
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銀色の小さな約束

駅前のベンチに腰かけて、缶コーヒーのプルタブをそっと外す。カチリと鳴った音が、秋の風に小さく溶けていく。その銀色の輪っかをポケットにしまうと、通りすがりの高校生が不思議そうにこちらを見た。だがもう慣れた。誰かに変な人だと思われるのも、最初の...