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焙(ほう)じる日々

澄んだ秋の風が、古い商店街の角を撫でていく。風に乗って香ばしい香りがふわりと漂い、思わず足を止める人もいる。その源は、小さな店「焙日(ほうび)」からだ。店主の名は早川詠美(はやかわ えいみ)。三十七歳。かつては東京の広告代理店でバリバリ働い...
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オレンジの残り香

古川紗季(ふるかわ さき)は、どこに行くにもオレンジのアロマオイルを持ち歩いていた。小さな瓶をバッグに忍ばせ、疲れたときや落ち込んだとき、そっと蓋を開けては香りを吸い込む。甘くて、少し酸っぱくて、太陽のように明るい香り。その香りだけが、彼女...
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雲のむこうへ

機体番号JA8721、ボーイング787型機――この飛行機には、ある小さな秘密があった。それは、他のどの機体よりも「旅人の願いを叶える力」が少しだけ強い、ということだった。機長の藤崎大地は、それを知らなかった。彼にとって飛行機は、子どもの頃か...
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シナモン通りの小さな奇跡

古い町並みの一角に、「シナモン通り」と呼ばれる細い路地があった。秋になると、通り全体にシナモンと焼き菓子の香りが漂い、歩くたびに心まで甘く包まれる。そんな通りの小さなカフェ、「カメリア」は、町の人々に愛されていた。このカフェを営むのは、シナ...
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くまのぬいぐるみと、春の光

小さなアパートの一室に、咲良(さくら)は住んでいた。部屋の隅には、やや色あせた茶色いくまのぬいぐるみが、ちょこんと座っている。名前は「コロン」。高校生のころ、祖母が誕生日に贈ってくれたものだった。「もう大人なのに、ぬいぐるみなんて……」そう...
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風を泳ぐ日

春の終わり、町のはずれにある小さな川沿いの家に、古びた鯉のぼりがあった。布は少しくすみ、尾びれには何ヶ所かほつれも見える。けれど、晴れた日には、赤、青、黒、色とりどりの鯉たちが、風に乗って空を泳いだ。その家には、幼い頃から病弱だった少年・海...
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春風に泣く

春の陽射しは、すべてを祝福するように街を包み込んでいた。駅前の広場には、桜がほころび、子どもたちの笑い声が風に乗る。だが、紺野美咲にとって、それは呪いの季節だった。マスク、メガネ、長袖。完全防備でも、彼女の鼻はぐずぐずと鳴り続ける。目は赤く...
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チョコレートドーナツの約束

陽が落ちかけた商店街を、さゆりは小走りで駆け抜けた。駅前のベンチに座るあの人の手には、いつもチョコレートドーナツがある。今日も、きっと。「間に合え、間に合え……!」さゆりが目指すのは、商店街のはずれにある小さなパン屋「サンリオ」。焼きたての...
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クッションの森

佐伯奈々は、クッションが好きだった。それはもう、普通の「好き」ではない。ソファに並べるための数個では足りず、気がつけば部屋中が大小さまざまなクッションで埋まっていた。丸いもの、四角いもの、星型、ハート型、動物の形をしたもの。ふわふわ、もふも...
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湯煙に宿るもの

冬の終わりが見え始めた三月のある日、早川千紘は一人、小さな山間の温泉地に降り立った。雪はまだ残っていたが、空気にはわずかな春の香りが混じり始めていた。千紘はとにかく「温泉」が好きだった。熱すぎず、ぬるすぎず、身体の芯からゆっくりと温まってい...