人は、忘れられる順番を選べない。
この町には、忘却局という小さな施設がある。
白い外壁に、窓はひとつだけ。
看板も出ていないが、町の人間は皆、そこが何をする場所かを知っていた。
人が死んだあと、残された記憶が、どの順で世界から消えていくのかを記録する場所だ。
私はそこで働いている。
正式な職名は「順序記録員」。
仕事は単純で、静かだった。
机の上に置かれた薄い端末に、消えていく記憶の名前が、ひとつずつ表示される。
それを確認し、保存する。
ただそれだけ。
最初に消えるのは、たいてい声だ。
笑い声や、呼びかける声。
感情の輪郭を持たない音は、世界に長く留まれない。
次に、癖。
歩き方、口調、考え込むときの指の動き。
誰かが真似できてしまうものほど、早く薄れる。
最後まで残るのは、名前かと思っていた。
だが、そうではない。
名前は意外と早く消える。
呼ばれなくなった言葉は、存在の証明になれないからだ。
ある日、端末に珍しい表示が出た。
「未分類:あなた」
一瞬、指が止まった。
私の、忘却順序が始まっている。
規定では、自分の記録を確認してはいけないことになっている。
でも、私は端末に触れた。
静電気のような感触とともに、文字が流れ出す。
最初に消えるのは、私の仕事だった。
忘却局に勤めていたこと。
誰も、その事実を思い出せなくなる。
次に、私の部屋の間取り。
置いていた植物。
好きだった紅茶の銘柄。
その次に表示されたのは、ある一日の記憶だった。
雨の午後、駅のベンチで、誰かと並んで座った時間。
相手の顔は、もう表示されていない。
胸の奥が、静かに痛んだ。
さらに先へ進むと、消えないものがひとつだけ残っていた。
「順番を気にする癖」
私は、誰かの中で、名前も顔も失ったあとも、「忘れられる順番を考える人」としてだけ、残るらしい。
それは存在と呼べるのだろうか。
それとも、ただの影だろうか。
端末の表示が消え、部屋は元の静けさに戻った。
私は立ち上がり、窓の外を見る。
町は何事もなかったように、夕暮れに沈んでいく。
もし、最後に残るものを選べるなら。
誰かの記憶の中に、ほんの一瞬でもいい。
温度として残れたらいいと思った。
けれど、人は忘れられる順番を選べない。
選べないからこそ、今ここにある時間だけが、確かなのだ。
私は端末を閉じ、今日の記録を保存した。
明日、誰が、どんな順番で世界から消えていくのか。
それを知る者も、いずれ同じ道を辿る。
忘れられる順番の、途中で。

