冬の終わり、町の路地裏にある小さな長屋で、佐伯真琴は毎朝みかんの皮を干していた。
網戸の内側、陽の当たる場所に広げられた橙色は、まるで小さな太陽の欠片のようだった。
近所の人は不思議がったが、真琴にとってそれは日課であり、静かな祈りのようなものだった。
真琴は幼い頃、祖母に育てられた。
祖母は何でも再利用する人で、特にみかんの皮を大切にした。
風邪をひけば皮を乾かして煎じ、台所の匂いが気になれば鍋で煮立て、冬の夜には湯船に浮かべて体を温めた。
祖母はよく言った。
「捨てる前に、もう一度役目を考えなさい」。
その言葉は、祖母が亡くなったあとも、真琴の中に残り続けていた。
都会での仕事に疲れ、真琴は故郷に戻ってきた。
何かを始めたかったが、大きな夢は持てなかった。
そんなある日、段ボール一杯のみかんをもらい、無意識のうちに皮を干している自分に気づいた。
懐かしい香りが部屋に満ち、胸の奥がほどけていくのを感じた。
真琴は皮を粉にし、石けんを作った。
最初は不格好で、泡立ちも悪かったが、使うと指先にやさしい温もりが残った。
次に、皮を煮出して掃除用のスプレーを作った。
油汚れが落ちるたび、祖母の声が聞こえる気がした。
少しずつ改良を重ね、知人に分けると、「いい香りだね」「肌が荒れにくい」と評判が広がった。
春が近づく頃、真琴は週に一度、路地の端で小さな露店を開いた。
みかんの皮から生まれた石けんや入浴剤、乾燥皮の袋。
値札は控えめで、作り方を書いた紙を添えた。
買う人より、話を聞きに来る人が多かった。
「捨てるものが、こんなふうに使えるんだね」。
その言葉に、真琴は何度も頷いた。
ある日、近所の小学生が空き袋いっぱいのみかんの皮を持ってきた。
「これ、使える?」。
真琴は笑って受け取り、一緒に洗い、干し方を教えた。
夕暮れの中、橙色が並ぶ網戸を見て、子どもは目を輝かせた。
みかんの皮は小さなものだ。
だが、捨てられがちなものに目を向けることで、人の暮らしは少しだけ丁寧になる。
真琴は今日も皮を広げながら、祖母の言葉を胸に繰り返す。
もう一度、役目を考える。
それは物のためだけでなく、自分自身のためでもあった。


