佐伯悠一は、食卓にポン酢がないと落ち着かない人間だった。
朝の目玉焼きにも、昼の冷奴にも、夜の鍋や焼き魚にも、彼の隣には必ず琥珀色の瓶がある。
酸味と旨味の調和、その一滴で料理がふっと華やぐ瞬間に、彼は日々の生き甲斐を見出していた。
幼い頃、祖母がつくってくれた湯豆腐に、すだちを絞った自家製ポン酢を添えてくれたのが最初の出会いだった。
まだ子供だった悠一には、酸っぱい液体は刺激的すぎた。
しかし祖母が「これは料理を笑顔にする魔法のしずくなんだよ」と言った瞬間、彼はその味を不思議と受け入れた。
以来、彼にとってポン酢は「家庭の味」そのものであり、同時に「自分を少し前向きにする力」でもあった。
大学を出て食品会社に勤めた悠一は、営業職として多忙な毎日を送っていた。
仕事帰りに立ち寄る居酒屋で、必ず注文するのは「しらすおろし」だった。
ほのかな塩気と大根の辛味、そこにポン酢をかけることで得られる調和は、一日の疲れをすっと取り除いてくれる。
仲間からは「ポン酢男」とからかわれたが、悠一はむしろ誇らしかった。
そんなある日、会社の研修で地方都市に出張することになった。
夕食で訪れた小さな定食屋の女将が出してくれた「鶏の唐揚げ」に、手づくりのポン酢が添えられていた。
香りは柚子、少し甘めでまろやかな後味。
普段使っていた市販のものとはまるで別物で、悠一の舌を驚かせた。
思わず「これ、どうやって作るんですか」と訊ねると、女将はにっこり笑って「柑橘は季節ごとに変えるのよ」と教えてくれた。
その日から、悠一の「ポン酢探求」が始まった。
柚子、すだち、橙、かぼす。
醤油や出汁の種類でも味はがらりと変わる。
休日になると彼は市場を回り、果実を仕入れては台所で試作を繰り返した。
冷蔵庫には常に数種類の瓶が並び、料理に応じて使い分けるようになった。
研究を重ねるうちに、彼はふと考えるようになった。
「いつか、自分のポン酢を世の中に広められたら」。
それは夢物語のようだったが、祖母の「魔法のしずく」という言葉が心の奥で灯をともしていた。
転機は三十五歳の春。
勤めていた会社を辞め、地元に戻った悠一は、小さな工房を借りて「自家製ポン酢」の製造を始めた。
最初の顧客は友人や親戚だったが、口コミで評判が広がり、地元のスーパーでも扱われるようになった。
ラベルには祖母の言葉を引用して「料理を笑顔にする一滴」と記した。
工房を訪れる客の中には「酸っぱいのが苦手で」と不安げな顔をする人もいた。
そんなとき悠一は、自ら調理した料理に自慢のポン酢を垂らして勧める。
酸味の奥にある出汁の旨味が広がり、表情がふっと柔らかくなる瞬間を、彼は何よりも大切にしていた。
ある冬の夕暮れ、工房の前に一人の女性が立っていた。
彼女は旅行中に立ち寄ったという東京の客で、鍋物に使うためにと一本購入した。
その数週間後、長い手紙が届いた。
「家族で囲む食卓が、あなたのポン酢でとても温かいものになりました」と書かれていた。
悠一は胸の奥が熱くなり、祖母と過ごした囲炉裏端の記憶がよみがえった。
ポン酢は、ただの調味料にすぎないかもしれない。
けれど悠一にとっては、人と人をつなぎ、心を少しやわらかくする小さな奇跡の源だった。
工房の棚に並ぶ瓶を見ながら、彼は静かに呟く。
「まだまだ、もっと美味しい魔法をつくれるはずだ」。
その言葉に応えるように、柑橘の香りがほのかに広がり、夜の工房をやさしく包み込んでいた。