優しい甘みの中で

食べ物

幼い頃、祖母の家に遊びに行くと、必ず木の器に盛られた黒糖がちゃぶ台の上に置かれていた。
小さな手でつまむと、ざらりとした表面が指先に心地よく、口に含めば濃厚な甘みとやさしい香ばしさが広がった。
健太は、その記憶を何度も思い返しては、胸の奥に温かい灯を感じていた。

大人になった今も、彼は黒糖が好きだった。
職場のデスクの引き出しには小袋に入った黒糖が常に入っている。
疲れを感じると一粒口に放り込み、ふっと肩の力を抜く。
周囲の同僚たちはエナジードリンクやコーヒーを手放せないが、健太にとっての癒しは、やはり黒糖だった。

ある日、仕事で沖縄に出張することになった。
打ち合わせを終え、自由時間ができると、健太は迷わず市場へ向かった。
昔ながらの店が軒を連ね、色とりどりの食材や土産物が並ぶ中で、ひときわ惹きつけられたのは、黒糖を専門に扱う小さな店だった。

年配の店主が笑顔で迎えてくれた。
棚には島ごとに異なる黒糖が整然と並んでいる。
サトウキビの育つ土壌や気候によって、香りや甘さ、コクが微妙に違うのだと店主は熱心に語った。
健太は試食をすすめられるままに、いくつもの黒糖を口にした。

――こんなに違うものなのか。

驚きと同時に、祖母の家で食べた黒糖の味を探している自分に気づいた。
懐かしさが舌に重なった瞬間、思わず胸が熱くなる。
祖母はもうこの世にいないが、黒糖を口にするたび、その笑顔や声が鮮やかによみがえるのだ。

「どれか、お気に召しましたか?」
店主の問いに、健太は迷わず一つを指差した。
素朴で深い甘みが、祖母の黒糖と重なったのだ。

帰りの飛行機の中、袋を開けて一粒口に入れると、不思議と心が落ち着いた。
仕事の悩みも、将来への不安も、一瞬だけ遠ざかる。
黒糖は甘いだけでなく、彼にとって「帰る場所」を思い出させるものだった。

数週間後、健太はふとした思いつきから、休日に黒糖を使ったお菓子作りを始めた。
インターネットでレシピを探し、黒糖プリンや黒糖ケーキを試してみる。
最初は失敗ばかりだったが、だんだんとコツをつかみ、友人に振る舞えるまでになった。

「優しい味だね」
そう言われるたび、健太は祖母が台所で笑っていた姿を思い出す。
彼女もまた、身近な人に喜んでもらうために黒糖を使っていたのだろう。

やがて健太は思い切って、地元で小さなカフェを開いた。
コンセプトは「黒糖とやすらぎ」。
ドリンクやスイーツに黒糖を取り入れ、木の温もりあふれる空間を整えた。
開店当初は不安だったが、口コミで少しずつ客が増え、気づけば常連客が通う店になっていた。

ある日、年配の女性客がぽつりとつぶやいた。
「この黒糖ラテ、懐かしい味がするわ」

その瞬間、健太の胸は震えた。
自分が感じた温もりを、誰かと共有できたのだ。
黒糖の甘みは、ただの嗜好品ではない。
人の心をやさしく結びつける、不思議な力を持っている。

夜、閉店後の店内で健太は一粒の黒糖を口に含む。
ざらりとした舌触り、深い甘さ、ほのかな苦み。
そのすべてが、過去と今をつなぎ、未来への道を照らしてくれる。

――黒糖がある限り、自分はきっと大丈夫だ。

そう思えることが、何よりの支えだった。