静かな町の外れ、小川のせせらぎが響く場所に、ヌートリアのリオは住んでいた。
ふさふさした茶色い毛と、くりくりとした目を持つリオは、家族とともに川辺の巣穴で暮らしている。
リオは生まれたときからこの川で育ち、葦の茂みを泳ぎ回ったり、草の根っこをかじったりして過ごしてきた。
ときおり人間が橋の上から顔をのぞかせたり、自転車の音が遠くから聞こえたりするが、ここは基本的に静かで穏やかな場所だ。
しかし、今年の春は少し様子が違った。
町の役場の人たちが何度も川辺にやってきて、棒のようなもので測ったり、メモを取ったりしていた。
そしてある日、「外来生物駆除」の文字が大きく書かれた看板が、川辺に立てられた。
リオはその意味が分からなかった。
ただ、母親がいつになく警戒した様子で言った。
「いい? リオ。しばらくは人間が近くにいたら、巣から出てはだめ。特に昼間はね」
リオはうなずいたが、どこか納得がいかなかった。
自分たちはただ、ここで生きているだけなのに。
どうして追い払われるようなことになるのだろう?
その疑問を抱えたまま、ある夕方、リオはこっそり巣を抜け出した。
太陽が沈む前の川辺は、金色に染まり、風が気持ちよく吹いていた。
リオはそっと川に入って泳いだ。
水の中は心が落ち着く場所だった。
だが、そのとき。岸の上に、小さな影が現れた。
人間の子どもだった。
赤い長靴をはいた、小学低学年くらいの女の子。
リオはとっさに身を隠そうとしたが、目が合ってしまった。
驚くでもなく、その子はしゃがんで言った。
「……ヌートリア?」
リオは動かずにじっとしていた。
逃げるべきか、様子を見るべきか迷っていた。
「お父さんが言ってたの。ヌートリアは外来種で、川を汚すって。でも……かわいい顔してるね」
その声は優しかった。
リオは少しずつ近づいて、草の陰から顔を出した。
「名前、あるの?」
もちろん人間の言葉は分からない。
けれど、リオは静かに水を揺らして、その子を見つめた。
するとその子は嬉しそうに笑って言った。
「じゃあ、リオって呼ぶね。川の“リバー”から。今日からお友達」
リオは、なんだか胸がふわっと温かくなるのを感じた。
その日から、少女――ミオとリオの奇妙な友情が始まった。
夕方になるとミオは川辺にやってきて、静かにリオに話しかけた。
リオは彼女の言葉が完全に理解できるわけではなかったが、ミオの声の調子や表情で、心が通じているように思えた。
だが、ある日、リオの巣が崩された。
役場の人たちが棒で巣を壊し、周囲にネットを張った。
母親と兄弟たちは何とか逃げたが、リオは離れた場所にいて、帰る場所を失ってしまった。
あてもなく川を下るリオ。
風は冷たく、腹も減った。
葦の茂みでじっとしていると、ふと、小さな声がした。
「リオ……?」
ミオだった。
学校帰りに川を歩いていて、偶然リオを見つけたのだ。
「どうしたの? 巣、なくなっちゃったの?」
リオはミオの顔を見て、小さく鳴いた。
ミオは何かを決意したようにうなずくと、ランドセルを下ろして言った。
「待ってて。私、約束する。リオの場所、守るから」
次の日から、ミオは学校の自由研究に「川辺のヌートリア」を選んだ。
リオの行動を記録し、その生態や性格、そして何より、リオが川にどんな影響を与えているのかを調べた。
図書館にも通い、専門家の話を聞き、時には町の自然保護団体にも足を運んだ。
そして夏の終わり、ミオは町の発表会で自分の研究を発表した。
「外来種は、たしかに問題もある。でも、命は命です。ちゃんと向き合って、一緒に生きる方法を考えることが、私たち人間の役目だと思います」
その発表は、小さな町で静かな波紋を呼んだ。
すぐにすべてが変わるわけではなかったが、役場は駆除の計画を一部見直し、川辺の一角に「共生観察エリア」が設けられた。
そこには、リオのための新しい巣も用意された。
ミオはそっとリオにささやく。
「これからも、ずっと友だちだよ」
リオは、葦の間から顔を出し、静かにミオを見つめていた。
夏の光の中で、その目は、どこか誇らしげに輝いていた。