港町に暮らす青年・拓也は、子どもの頃から「カニ」が好きで仕方なかった。
味もさることながら、赤く茹であがった甲羅の輝きや、ぎこちなくも力強い歩き方が、彼の心をとらえて離さなかった。
漁師の父に連れられてカニかごを引き上げた日の胸の高鳴りは、今でも鮮明に思い出せる。
高校を出た拓也は都会へ進学したが、寮の食堂で出てくる冷凍のカニクリームコロッケには、故郷で味わった濃厚なカニの甘みはなかった。
だから休みのたびに帰省し、港の食堂で茹でたてのワタリガニや、味噌の詰まったズワイガニを頬張った。
「やっぱり、カニはここで食べるのが一番だな」
ある日、店でカニ丼を平らげた拓也がつぶやくと、隣の席にいた女性が笑った。
「同じこと思ってました」
その女性、彩香は東京から来た観光客で、カニを目当てに毎年この港町へ足を運んでいると言う。
話してみると、彼女もまたカニ好きで、各地の港を巡って食べ歩きをしていた。
二人はすぐに打ち解け、「来年も同じ時期にまた会いましょう」と約束を交わした。
その後、拓也は父の漁を継ぎ、カニ漁師として働き始めた。
冬の荒れる日本海に船を出すのは過酷だったが、甲板に並ぶ鮮やかな紅色のカニを見ると、不思議と力が湧いた。
そして年に一度、彩香が町に来るのが、彼にとって何よりの楽しみになった。
三年目の冬、拓也は意を決して自分で獲ったカニを調理し、彩香にふるまった。
「これ、俺が今朝引き上げたやつなんだ。食べてもらいたくて」
彩香は嬉しそうに箸をとり、一口食べて目を輝かせた。
「こんなに甘いカニ、初めてです。拓也さん、本当にすごい」
その言葉を聞いた瞬間、拓也の胸は熱くなった。
彼にとってカニは、ただの食材ではなく、父から受け継いだ誇りであり、人との縁を結ぶきっかけだったのだ。
やがて二人は交際を始め、彩香は季節ごとに港町を訪れるようになった。
春はカニの稚ガニを海に放つ拓也を手伝い、夏は漁の準備を共にし、秋には町の祭りでカニ汁をふるまった。
そして五度目の冬、雪の舞う港で拓也は彩香に指輪を差し出した。
「カニが好きな俺たちだから、きっとどんな嵐も乗り越えられると思う。一緒に生きてくれませんか」
彩香は涙を浮かべながらうなずき、二人は寄り添った。
遠くでは、港の漁師たちがカニかごを引き上げる音が響いていた。
拓也にとってカニはただの好物ではなかった。
それは家族をつなぎ、夢を支え、そして最愛の人との縁を結んでくれた、かけがえのない存在だった。
――港町の冬が来るたび、二人は茹でたてのカニを前に並び、出会いの奇跡を思い返すのだった。