北の大地に夏の光が差し込む頃、一羽の若いシギのオス――名をハルといった――は、生まれて初めての旅に出る準備をしていた。
「秋になれば、みんな南へ向かう。
それが私たちの宿命なのよ」と、母鳥は言った。
ハルはその言葉を胸に刻みながら、空を見上げた。
広がる青の彼方には、見たこともない世界が待っている。
けれど同時に、別れの予感が彼の胸を締めつけた。
ハルには幼い頃から仲の良いメスのシギがいた。
名をナギという。
ふたりは砂地の巣のそばでいつも羽を並べて空を見つめ、夢を語り合った。
「ねえ、ハル。もし旅の途中ではぐれても、また会えると思う?」
「きっと会えるよ。僕たちは風の道を知ってる」
ナギはそれを聞いて小さく笑った。
「じゃあ、風の約束ね」
そして季節は流れ、空に冷たい気配が漂い始めた。
大きな群れが空を舞う日、ハルとナギも南を目指して飛び立った。
初めての長旅に胸を躍らせる間もなく、試練はすぐにやってきた。
強い嵐が海上を襲い、群れは四方八方に散り、ハルは気づけば孤独な空に取り残されていた。
「ナギ…どこだ…!」
何度も叫んでも、応える声はなかった。
雨と風に打たれ、ハルは羽を濡らしながら、それでも諦めずに南を目指した。
数日後、彼はやっとの思いで暖かな湿地にたどり着いた。
そこにはたくさんの見知らぬ鳥たちがいて、みな疲れた身体を休めていた。
ナギの姿はなかった。
それから数ヶ月、ハルはそこで過ごしながら、彼女を探し続けた。
見知らぬ鳥たちと空を舞い、食を分け合い、夜には星を見上げた。
ある老いたツルが言った。
「旅は別れの連続じゃ。だが、それは終わりではない。再会の扉でもある」
ハルはその言葉を心の奥にしまった。
やがて春が近づき、北の風が戻ってきた。
ハルは再び旅に出る決意を固めた。
帰る場所がある――それだけが彼の羽を支えていた。
北への旅は過酷だった。
だが、彼の中にはもう恐れはなかった。
なぜなら、彼は「風の約束」を胸に抱いていたから。
そして、故郷の湿地に戻ったある日。
夕暮れの空の下、静かに羽ばたく一羽の影が見えた。
「……ナギ?」
その声に振り返ったのは、確かにあの幼い頃の面影を残した、彼の大切な仲間だった。
「待ってたよ、ハル」
ふたりは何も言わず、ただ並んで空を見上げた。
「また旅に出るときも、一緒にいられるかな?」
ハルは笑った。
「もちろんさ。今度は、風が教えてくれるさ。僕たちの帰る場所を」
夕暮れに染まる空の下、風がそっとふたりの羽を撫でた。
まるで、約束を思い出させるかのように。