「――拙者、参上つかまつる!」
午後三時、都内某所のオフィス街。
スーツ姿の人々が行き交う中、一人だけ異様な格好をした男がビルの影から転がり出た。
全身黒ずくめ、顔の下半分は覆面。
背中には木刀、腰には手製の手裏剣ポーチ。
「おい、またあいつだぞ……」
「あれ、会社の近くに出るって噂の“リアル忍者マン”じゃん」
人々の視線も気にせず、男はビルの壁に背をつけて周囲を見渡す。
目は真剣そのものだった。
男の名は、片桐 誠(かたぎり まこと)、35歳。
職業、コンビニ夜勤バイト。
だが本人は「忍者見習い」と自称していた。
誠が忍者に憧れたのは、小学生のときに観た時代劇『影の風』がきっかけだった。
闇に紛れ、音もなく敵を倒す主人公の姿に、少年誠は心を奪われた。
「いつか俺も、あんな風になりたい……」
そう決めて以来、誠は独自の修行を積んできた。
木に登る練習、手裏剣の投げ方、忍び足。
高校では空手部に入部。
だが、当然ながら、周囲の反応は冷ややかだった。
「いい年して、何が忍者だよ」
「お前の現実逃避もここまで来るとすごいな」
それでも誠は折れなかった。
社会に馴染めず、正社員の職も続かず、バイトを転々としながらも、毎日忍術の修行は欠かさなかった。
だが、現代に本物の忍者など存在しない。
それは誠自身も、どこかでわかっていた。
「……でも、俺にはこれしかないんだよ」
ある日、誠は深夜の帰り道で、一人の女子高生が数人の不良に絡まれている場面に遭遇した。
「おい、ねーちゃん、ちょっと遊ぼうぜ」
「スマホ貸せよ、ちょっと見るだけだからさ」
誠の心がざわめいた。
逃げることもできた。
見て見ぬふりもできた。
だが、彼は一歩、踏み出した。
「……お主ら、そこまでにしておけ」
静かな声と共に、誠は路地から姿を現した。
「は? 誰だよ、コスプレ野郎か?」
笑いながら向かってくる不良の一人に、誠は素早く木刀を構える。
寸止め。
風を切る音に、不良たちは一瞬たじろぐ。
「これは……竹刀?」
「いや、木刀だ。でも、妙に構えが様になってる……」
不良たちは戸惑い、やがて面倒そうに舌打ちして去っていった。
女子高生は震えながら、誠に頭を下げた。
「……ありがとうございました。本物の、忍者みたいでした」
その言葉に、誠は何も言わず、夜の闇に消えていった。
次の日。
SNSには「深夜の路地に現れた謎の忍者ヒーロー」の動画がアップされ、拡散されていた。
映像には、不良を追い払う誠の姿が鮮明に映っていた。
コメント欄には賛否が渦巻いた。
「すげぇ、ほんとに現代忍者じゃん!」
「イタいけど、行動はかっこいいな」
「通報すべきでは?」
その動画を見ながら、誠はつぶやいた。
「……俺がやりたかったのは、これだ」
しばらくして、あるテレビ局が「リアル忍者マン」に接触を試み、誠の特集番組が組まれることとなった。
「現代に蘇る忍者魂」と銘打たれたそのドキュメントは、予想以上の反響を呼んだ。
やがて彼のもとには、地方自治体やイベント会社から「忍者ショー」や「防犯講習」への出演依頼が舞い込むようになる。
誠はようやく、自分の“居場所”を見つけた。
それは決して“本物の忍者”ではない。
けれど、人々の笑顔を守り、誰かの心に火を灯す――その姿はまぎれもなく、現代に生きる“忍び”だった。
誠のように、夢を追う姿は時に笑われ、馬鹿にされるかもしれない。
だが、信じ続ける者にだけ見える景色がある。
彼の背中は、今日も子どもたちに向かってこう叫んでいる。
「夢を、侮るなかれ――!」