アスパラガスの王子さま

食べ物

「アスパラガスは、愛なんだ」

町の誰もがそう口にするのは、八百屋「青竹屋」の若き店主・相原潤一のことを語るときだった。

潤一は、アスパラガスが大好きだった。
どれくらい好きかというと、朝食にはアスパラのソテー、昼はアスパラのペペロンチーノ、夜はアスパラと鶏むね肉の蒸し物。
季節によってはスープやピクルスにもする。
冷蔵庫には常に5束以上のアスパラが控えていて、彼はそれを「俺の緑の兵士たち」と呼んでいた。

その偏愛ぶりは幼少期にまで遡る。

小学生のとき、学校の給食で初めて出会ったアスパラガス。
クタクタに煮られた一本をひとくち齧った瞬間、彼の中で何かが「開花」した。
みずみずしい甘み、ほのかな苦み、噛むたびに広がる野の香り。
彼はその一本のアスパラを「運命」と名付けた。

そして現在。彼は実家の八百屋を継ぎ、店の一角に「アスパラ専門コーナー」を設けた。
春先には北海道産の極太アスパラ、初夏には長野の高原アスパラ、秋口にはニュージーランドから空輸されるものまで仕入れた。
しかもただ売るだけではない。
おすすめの調理法や、産地ごとの味の違いまで熱く語る。
買い物客の中には「アスパラ博士」と呼ぶ者もいた。

そんな潤一に変化が訪れたのは、ある雨の日のことだった。

「すみません、アスパラ…ここで売ってますか?」

店の奥から現れたのは、レインコート姿の若い女性だった。
長いまつげに、濡れた髪。
右手には折れた傘。
彼女の声は小さかったが、確かに「アスパラ」と言った。

「もちろんありますとも!」

潤一は高揚しながら彼女をアスパラコーナーへ案内した。
彼女の目が、次第に丸くなる。

「…こんなにたくさんの種類があるなんて、知らなかった」

「アスパラは奥が深いんです。例えばこの紫アスパラ、茹でると緑になりますが、焼けば色を保ちつつ甘みも残る。しかもこの時期は…」

語り出す潤一を、彼女はまっすぐに見つめていた。

「面白いですね、あなた」

その日を境に、彼女――葉山みのりは頻繁に店を訪れるようになった。
理由は明白だった。
アスパラが、好きになったのだ。
そしてその隣で目を輝かせて語る男のことも。

一緒にアスパラ料理を作るようになり、試食会を開き、子どもたちにアスパラを紹介する食育イベントも行った。
やがて二人の距離は自然と近づいていく。

ある晩、潤一は意を決して聞いた。

「みのりさん。アスパラじゃなくても、僕と…一緒にいてくれますか?」

彼女は少しだけ黙ってから笑った。

「アスパラがきっかけだけど、好きになったのは潤一さん。あなたのアスパラへのまっすぐな愛に、私は心を打たれたの。だから…一緒にいたい」

その言葉を聞いて、潤一の中にまたひとつ、春が芽吹いた。

それからというもの、町では二人のことをこう呼ぶようになった。

「アスパラの王子さまと、お姫さま」

もちろん、潤一は否定する。

「王子じゃないですよ。アスパラの伝道師です」

でも、誰もが知っている。

アスパラガスを愛し、それによって人と人とをつないだ青年の心は、まさに王子のように誠実で、真っ直ぐだったということを。

そしてその物語は、今も青竹屋の軒先で、日々静かに育ち続けている。