古い町並みの一角に、「シナモン通り」と呼ばれる細い路地があった。
秋になると、通り全体にシナモンと焼き菓子の香りが漂い、歩くたびに心まで甘く包まれる。
そんな通りの小さなカフェ、「カメリア」は、町の人々に愛されていた。
このカフェを営むのは、シナモンをこよなく愛する少女、瑞樹(みずき)だった。
瑞樹は子どもの頃から、祖母の作るシナモンロールが大好きだった。
ほんのりと甘く、心をほっとさせるあの香りを、いつか自分でも誰かに届けたい――そんな夢を抱いて、大学卒業と同時にカフェを開いたのだった。
瑞樹のカフェには、どんなメニューにもこっそりシナモンが隠れている。
看板メニューの「シナモンたっぷりアップルパイ」はもちろん、ココアにも、サンドイッチにも、ふんわりと香りが忍ばせてある。
驚くことに、それが絶妙に調和して、誰もがやみつきになってしまうのだった。
ある年の秋、瑞樹はちょっとした挑戦を思いついた。
「シナモンフェア」を開き、普段はあまりシナモンになじみのない人にも、その魅力を知ってもらおうと考えたのだ。
彼女は毎晩遅くまで、新しいレシピを試作した。
シナモン入りのかぼちゃスープ、シナモン香るチキンのグリル、さらにはシナモンを利かせたカクテルまで。
しかし、開店初日、カフェにやってきたのは常連客ばかりだった。
瑞樹は少し肩を落とした。
――やっぱり、シナモンは好き嫌いが分かれるのかな。
そのとき、カフェのドアが静かに開いた。
入ってきたのは、見慣れない若い男性だった。
ややぼさぼさの髪に、大きなトートバッグを抱えた、物書き風の雰囲気。
「ここ、シナモンフェアやってるって聞いて……」
その言葉に、瑞樹の胸はぱっと明るくなった。
彼の名前は遥(はるか)といった。
彼もまた、幼いころからシナモンが大好きだったという。
都会の喧騒に疲れ、たまたま訪れたこの町で、シナモンの香りに誘われるようにやってきたのだ。
「このスープ、最高です。シナモンって甘いイメージしかなかったけど、こんなに深みが出るんですね」
遥のそんな言葉に、瑞樹は照れ笑いを浮かべながら、次々と料理を運んだ。
二人は料理の話から、シナモンへの思い出話、そして人生の夢まで、あっという間に打ち解けた。
気がつけば夜も更け、他の客たちが帰ったあとも、カフェには二人だけが残っていた。
シナモンティーを片手に、遥がぽつりとつぶやいた。
「僕、ここで小説を書きたいな。君のカフェを舞台にして」
瑞樹の心は、またほんのりと温かくなった。
このカフェが、シナモンの香りが、誰かの人生にそっと寄り添えるなら、これ以上の幸せはないと思った。
翌年、遥は本当に小説を出版した。タイトルは『シナモン通りの奇跡』。
その本は町中で話題になり、「カメリア」には遠方からもたくさんの人が訪れるようになった。
瑞樹は、今日もシナモンをたっぷりとふりかけながら、ふわりと微笑む。
――シナモンの香りは、誰かの心に、きっと小さな奇跡を運んでくれる。
そう信じながら。