秘密基地のふたり

面白い

狭いところが好きな男がいた。
名前は高橋啓太(たかはしけいた)、32歳。
彼は子供の頃から、押し入れの中や机の下、ベッドの隙間のような狭い場所に入り込むのが大好きだった。
そこは、彼にとって落ち着く特別な空間だった。

会社では営業職についていたが、どちらかというと人付き合いは苦手で、会議や商談の後はいつもどっと疲れてしまう。
そんな時、彼はビルの非常階段の踊り場や倉庫の隅に行き、少しの間、体を縮めて座り込むことで気持ちを落ち着かせていた。

そんな彼が住んでいるのは、東京の端にある築50年のワンルームアパート。
間取りは6畳一間に小さなキッチン、そして何より彼が気に入っているのは、部屋の隅にある古い押し入れだった。
布団をしまうための空間だが、啓太はそこに布団を敷いて寝床としていた。
天井が低く、寝返りを打つのもぎりぎりなほど狭い。
しかし、その窮屈さこそが彼にとって心地よいものだった。

ある日、啓太は会社の飲み会に誘われた。
気が進まなかったが、断り続けるのも気まずいと思い、しぶしぶ参加することにした。
居酒屋の大部屋はぎゅうぎゅう詰めで、人の声が反響し、空気も熱気で重い。
早く帰りたいと思いながら、ビールを一口飲んだその時、隣に座った女性が話しかけてきた。

「もしかして、高橋さんって狭いところが好き?」

啓太は驚いて彼女を見た。
彼女は小林紗希(こばやしさき)という同僚で、別の部署に所属しているらしい。
短い髪に大きな目をした、どこか猫のような雰囲気の女性だった。

「え、なんで分かったんですか?」

「前に、倉庫の隅で休んでるのを見かけたことがあって。なんとなく、そういう人なのかなって」

図星だった。
そんな風に自分を観察していた人がいたことに驚きつつも、啓太は少し嬉しくなった。

「ええ、まあ……落ち着くんです。狭いところって、なんかこう、守られてる感じがして」

「分かるなあ。私も狭いところ、好きだよ」

「えっ?」

「クローゼットの中とか、車の後部座席の隅っことか、秘密基地みたいな感じがして落ち着くでしょ?」

啓太は思わず身を乗り出した。
こんなことを理解してくれる人がいるなんて、思ってもみなかった。

「そうなんですよ!なんか、狭い空間って、自分だけの世界になるっていうか……」

「うんうん、分かる!」

そこから、二人はまるで子供のように話し込んだ。
気づけば飲み会の時間はあっという間に過ぎ、店を出た時にはすっかり夜も更けていた。

「ねえ、高橋さん」

「はい?」

「今度、狭いところ巡りしない?」

「狭いところ巡り?」

「例えば、穴蔵みたいなカフェとか、狭い路地裏とか、秘密基地っぽいスポットとか。きっと楽しいと思う」

啓太は驚いたが、すぐに笑った。こんな誘いを受けるのは初めてだったが、断る理由はなかった。

「面白そうですね。ぜひ!」

それから二人は、休みの日に都内の狭いスポットを巡るようになった。
まるで子供の頃に秘密の遊び場を探すような感覚だった。
誰も知らないような細い路地を歩いたり、天井の低い喫茶店でコーヒーを飲んだり、カプセルホテルの狭いベッドで仮眠を取ったりした。

そんな時間を重ねるうちに、啓太は気づいた。
狭い空間にいるのが好きなのはもちろんだけど、今はその空間を紗希と共有するのが楽しいのだと。

ある日、二人はとあるビルの地下にある隠れ家的なバーを訪れた。
店の入り口は身をかがめないと通れないほど狭く、中に入ると薄暗い照明の下、こぢんまりとしたカウンターが広がっていた。

「いい雰囲気だね」

「はい、まさに隠れ家ですね」

二人は並んでカウンターに座り、しばらく静かにグラスを傾けた。

「ねえ、高橋さん」

「はい?」

「もし、もっと狭いところに住めるとしたら、住んでみたい?」

啓太は少し考えてから答えた。

「うーん……今のアパートも気に入ってますけど、もっと狭くて快適な場所があったら、住んでみたいかも」

紗希は少し笑って、啓太の顔をじっと見た。

「じゃあさ、もし私がそういう狭い場所に一緒に住もうって言ったら、どうする?」

心臓がどくん、と跳ねた。

「……それって、どういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ」

紗希はグラスをくるくると回しながら、少し照れくさそうに微笑んだ。

それから数ヶ月後。

啓太と紗希は、小さな一軒家を借りて一緒に住むことになった。
間取りは二人で暮らすには少し狭いが、秘密基地のようなロフト付きの部屋があり、二人にとっては理想的な空間だった。

狭い場所が好きな二人の、小さな幸せがそこにはあった。