東京都心から少し外れた場所に、「影崎(カゲサキ)」という小さな駅があった。
駅周辺は古びた商店街と昭和の面影を残す住宅地が広がっているが、近年は人口減少でゴーストタウンのように寂れていた。
この影崎駅には、地元住民の間で古くから語り継がれる奇妙な都市伝説がある。
それは、「影崎線の最終電車に乗ると消える」というものだ。
影崎駅を通る影崎線は、もともと地方のローカル線だった。
近年は通勤客も減り、最終電車は乗客がゼロという日も少なくない。
それでも駅員は毎晩、終電が無事に出発するのを見送る。
しかし、この最終電車に乗ると、誰も目的地に辿り着かない——そう語られているのだ。
影崎線の最終電車は、23時46分発。
4両編成の小さな電車がゆっくりとホームに滑り込み、わずかな停車時間の後、静かに夜闇へ消えていく。
この電車に乗り込んだ乗客の多くが、二度と戻ってこなかったとされている。
警察にも行方不明届が何件も出されているが、いずれも最終的な行方は不明のまま。
不思議なのは、その電車を見送った駅員やホームの監視カメラには、最終電車は確かに発車し、定刻通り走り去る様子が記録されているという点だ。
だが、その電車が次の駅に到着した記録は存在しない。
まるで影崎駅を出発した瞬間に、電車ごと別の次元に引き込まれるように消えてしまうのだ。
この都市伝説が語られるようになったのは、今から約30年前に起きた「影崎線脱線事故」がきっかけだ。
1989年11月13日、最終電車が線路沿いのトンネルを通過中、突然運転士が急ブレーキをかけた。
激しい衝撃音と共に電車は脱線。
4両のうち2両が横転し、多くの死傷者を出した。
事故原因は当時の調査でも特定されなかったが、事故直前に運転士が「線路に人影が見えた」と無線で報告していたことだけが記録に残っている。
だが、その「人影」は、事故現場に駆けつけた警察や救急隊員によっても確認されていない。
救出作業が続く中、事故車両の最後尾から異様な痕跡が見つかった。
車両の窓ガラスには、内側から無数の手形がびっしりと残されていたのだ。
まるで何かから逃れようと、乗客が必死に窓を叩いていたかのように。
それ以来、影崎線の最終電車には「霊の電車」という不吉な噂がつきまとった。
誰も乗らないはずの車両のシートに、不自然に湿った跡や、人が座っていたようなくぼみが見つかる。
運転士たちの間でも、「最終電車の窓に無数の手が張り付いていた」「走行中、誰もいないはずの通路を足音が響いた」といった怪現象が次々に報告されるようになった。
さらに恐ろしいのは、影崎駅周辺に住む人々が目撃する「深夜の幻影」だ。
最終電車が発車した直後のホームに、何人もの乗客が取り残されたように立っている光景が目撃されるのだ。
彼らは皆、表情がなく、目が真っ黒で、ただ線路の先をじっと見つめているという。
ホームに立つ駅員が声をかけようとすると、一瞬で霧のように消えてしまう。
都市伝説に詳しいフリーライターの男性が、この噂の真相を突き止めようと取材を始めた。
彼は事故当時の資料を読み漁り、関係者にも話を聞いたが、誰も多くを語ろうとはしなかった。
ただ、一人の元運転士が震える声でこう語った。
「影崎線は…あの日から“つながってしまった”んだよ。どことかはわからないけど、たぶん…この世じゃないどこかとさ。」
男性ライターは最後に、どうしても最終電車に乗って確かめたいと無謀な行動に出た。
2023年11月13日、ちょうど事故から34年目の夜、彼は影崎駅のホームで最終電車を待ち、そのまま乗り込んだ。
彼がそれ以来、消息を絶っていることを知る者は少ない。
ただ、その夜、影崎線の線路沿いに住む住人が、奇妙なものを見たと証言している。
「23時50分ごろだったかな…線路の向こうに電車が見えたんだよ。普通なら一瞬で通り過ぎるのに、その電車は全然動かない。ただ、車内の窓に、何十、何百もの手が張り付いていて…」
そして、その日を境に、影崎駅の最終電車は「乗ったら戻れない電車」として語り継がれることになった。
今もなお、最終電車に乗った者は誰一人戻ってきていない。