食べ物

おはぎ日和の店主

春の空気がまだ冷たさを残す三月の初め、商店街の端に小さな暖簾がかかった。白地に墨で「おはぎ日和」と書かれたその暖簾をくぐると、ふんわりと甘い香りが鼻をくすぐる。店主の名は 山村里穂。三十五歳。もともとは東京で事務職をしていたが、三年前に母を...
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夕焼け坂の約束

町の西側には、ゆるやかにのびる長い坂道がある。地元の人たちは、それを「夕焼け坂」と呼んでいた。夕暮れ時になると、坂の上から町全体が茜色に染まり、海の向こうまでオレンジ色の光が広がっていく。それは、まるで世界が一度だけ息を潜め、時間が止まった...
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ラベンダーティーの午後

その日、空は淡い水色にけぶり、春先の柔らかな風が庭を撫でていた。美咲は小さな木のテーブルにティーポットを置き、カップに静かに注いだ。湯気とともに、ふわりとラベンダーの香りが漂う。紫色の小花を思わせるその香りは、どこか懐かしく、胸の奥の柔らか...
食べ物

ライ麦色の朝

駅前の小さなパン屋「クローネベーカリー」は、朝の7時になると必ず甘い香りとほんのり酸味を帯びた香りが混ざった空気に包まれる。それは店主・岡田信一が焼き上げる、看板商品のライ麦パンの匂いだ。その香りを求めて、毎朝必ず現れる客がいる。佐藤絵美、...
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緑茶の香りと急須

祖母の家に行くと、いつも台所の隅に小さな急須があった。深い緑色で、表面には細かいひび模様――貫入が走っている。それは祖母が若い頃、嫁入り道具として持ってきたものだという。取っ手は少し欠け、注ぎ口も丸みを失っていたが、祖母は「まだまだ使えるよ...
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風とペダルとわたし

春の匂いが漂う土曜日の朝。空は透き通るような青色で、雲はまるでゆっくりと流れる綿菓子のようだった。中学二年生の美咲は、ガレージに置かれた自転車の前で胸を高鳴らせていた。去年の誕生日に両親からもらった、淡いミントグリーンのクロスバイク。冬の間...
食べ物

赤いソースの記憶

佐伯美咲は、昼休みになると決まって社食には向かわず、会社の近くにある小さな洋食屋「グリル山本」に足を運ぶ。暖簾のように下がった赤いカーテンをくぐると、店主の山本が「いつもの?」と聞いてくる。美咲は笑って「もちろん」と返す。そう、彼女の「いつ...
動物

森の語り部・シロヘビ

深い森の奥、誰も近づかない古い大樹の根元に、一匹の白いヘビが棲んでいました。名前はシロ。年齢は誰にもわからず、森の動物たちの間では「千の季節を知る者」として知られていました。シロは特別な力を持っていました。森で起こった出来事や動物たちの記憶...
食べ物

あたたかな一杯

冬の朝、窓の外には白い息を吐くように雪が降っていた。小さな喫茶店「すずらん」の厨房で、店主の美咲は玉ねぎを刻んでいる。包丁がまな板を打つ軽やかな音と、玉ねぎ特有の甘い香りが、まだ冷たい空気の中にゆっくり広がっていく。美咲がこの店で一番大切に...
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流れ星の約束

八月の夜、町の灯りが届かない丘の上に、彩夏は毛布を敷いて寝転がっていた。昼間は蝉がうるさいほど鳴いていたが、今は虫の声と遠くの川のせせらぎだけが耳に届く。頭上には、満天の星。空気が澄んでいるせいか、手を伸ばせばつかめそうなほど輝いていた。「...