食べ物

ジュウという幸福

匂いが漂ってきただけで、心が躍る。鉄板に落とされた分厚い肉が「ジュウ」と音を立て、立ちのぼる煙とともに香ばしい匂いを放つ瞬間――そのすべてが、佐伯健一にとっては至福の時間だった。健一は幼い頃から肉が大好きだった。特に父が給料日に奮発して買っ...
不思議

蒼き鱗の約束

山脈のさらに奥深く、雲より高い峰の影に「蒼き鱗のドラゴン」が棲んでいた。村人たちはその存在を古くから語り継ぎ、恐れと畏敬の念を抱いていた。火を吐けば森を焼き尽くし、翼を広げれば嵐を呼ぶ――そう言われてきたが、実際にその姿を見た者は少ない。た...
ホラー

鏡の中の声

夜、大学の課題を片付けていた翔太は、机の上の鏡に視線を落とした。それは小さな手鏡で、幼い頃からなぜか手放せずに持ち歩いているものだ。枠は黒ずみ、銀色の反射面には微かに曇りがある。けれど鏡を見ると不思議と落ち着くので、翔太は部屋の片隅に立てか...
食べ物

白い小さな幸せ

春の終わり、牧場の朝はまだ少し冷たい風が吹いていた。美緒は牛舎の扉を開けると、牛たちがのんびりと反芻している姿を眺めた。小さい頃から牛の匂いも鳴き声も日常で、都会の友人に話すと驚かれるが、美緒にとってはどこか安心する音と香りだった。彼女の家...
食べ物

甘酸っぱい約束

川沿いにある小さな町に、悠真という青年が暮らしていた。彼は昔から人付き合いが得意ではなく、どこか影を抱えたような雰囲気を纏っていた。そんな彼が唯一心を許せる存在が「ラズベリー」だった。赤く小さな果実は、彼にとってただの食べ物ではなく、心の奥...
面白い

カラン坊の約束

小さな町の雑貨屋の棚の隅に、一つの古びたブリキの貯金箱が置かれていた。色は少しくすみ、表面には細かな傷がついている。それでも、丸い体に描かれた赤と青の模様は、どこか懐かしい温もりを感じさせた。その貯金箱は、何十年も前に作られたものだった。子...
食べ物

かきのたね日和

健太は昔から「かきのたね」が好きだった。オレンジ色の小さな柿の種と、塩気の効いたピーナッツ。そのシンプルな組み合わせに、彼はなぜか無性に惹かれてきた。子供の頃、父が晩酌の横に置いていたのをつまみ食いして以来、気がつけば自分の部屋の机の引き出...
面白い

緑に包まれて

健一がツタに惹かれるようになったのは、小学生の頃に祖母の家を訪れたときのことだった。古びた洋館風の家の外壁を覆うように伸びていたツタは、夏には濃い緑で家を涼しく包み、秋には赤や黄へと色づき、季節の移ろいをまるごと映し出していた。祖母はよく言...
食べ物

豚肉好きの物語

浩一は、自他ともに認める「豚肉好き」だった。牛肉よりも、鶏肉よりも、魚よりも、とにかく豚肉を愛していた。トンカツのサクサク感とジューシーな甘み、角煮のとろけるような食感、しょうが焼きの香ばしい匂い……どんな料理に姿を変えても、豚肉は彼の心を...
食べ物

モロヘイヤの緑に包まれて

夏の朝、畑に立つと、独特の青々とした香りが風に乗って鼻をくすぐった。真っ直ぐ伸びた茎に、小さく艶やかな葉をたたえたモロヘイヤが、陽を受けて光っている。「今年もよく育ったなぁ」そうつぶやいたのは、定年後に農業を始めた和夫だった。元々は会社勤め...