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毛布のぬくもり

冬が近づくたび、結衣は押し入れの奥から一枚の毛布を取り出す。淡いクリーム色のその毛布は、もうところどころ毛玉ができていて、端の糸も少しほつれている。けれど、柔らかくて、包まると安心する。どんなに寒い夜でも、その毛布があれば眠れるのだ。結衣が...
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帰り道の楓

村のはずれ、小さな川のそばに一本の楓の木が立っていた。春は淡い緑、夏は濃い影を落とし、秋には火のように赤く染まる。冬は裸になって雪を受け止め、また春を待つ。百年近く、変わらぬ場所で風に揺れ、人々の暮らしを見つめてきた。昔、この楓の木の下で、...
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水車のうた

山あいの小さな村のはずれに、一つの古い水車小屋があった。木でできた羽根はすり減り、苔むした輪が静かに回るたび、きしむ音が谷にこだました。村の人々は「もうすぐ止まるだろう」と言いながらも、その音にどこか安心していた。水車小屋を守るのは、七十を...
動物

信号の向こうの相棒

朝の光が差し込む警察犬訓練センターの広場に、風が吹き抜けた。若い警察官・田島は、ハーネスを握りしめながら深呼吸する。目の前には、一頭のジャーマン・シェパード──名は「レン」。鋭い目つきだが、尻尾の動きはどこか柔らかい。「レン、今日は最後の試...
食べ物

陽だまりのグラス

――冬の朝、陽の光がゆっくりと部屋に差し込んでくる。ガラスのコップの中で、みかんジュースがきらきらと輝いていた。陽菜はその色が好きだった。太陽をぎゅっと閉じ込めたような、あたたかいオレンジ色。小さなころから、冬になると祖母が手しぼりで作って...
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ホップの丘で

春の風が吹き抜ける丘の上に、ひとりの青年が立っていた。名前は陽介。地元の小さなクラフトビール工房で働く、まだ二十代半ばの青年だ。彼の目の前には、青々とした蔓が支柱を這い上がっている。ホップ畑――ビールの香りを決める、緑の宝石のような植物だ。...
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銀色の小さな約束

駅前のベンチに腰かけて、缶コーヒーのプルタブをそっと外す。カチリと鳴った音が、秋の風に小さく溶けていく。その銀色の輪っかをポケットにしまうと、通りすがりの高校生が不思議そうにこちらを見た。だがもう慣れた。誰かに変な人だと思われるのも、最初の...
食べ物

ひとくちのやさしさ

朝六時。古い木造アパートの一階にあるキッチンで、由梨はトマトジュースの缶を開けた。ぷしゅ、と小さな音がして、赤い香りがふわりと広がる。ガラスのコップに注ぎながら、彼女は小さく息を吐いた。「今日も、いい色」大学を出て三年。広告会社の事務として...
ホラー

雲の底で

夜の便だった。羽田を出たのは午後八時すぎ。窓の外はすでに黒く沈み、雲の上に浮かぶ月だけが機体の翼を銀色に照らしていた。搭乗してから一時間ほど経ったころ、客室乗務員がドリンクを配り終えた。周囲の客は眠ったり、映画を見たりしている。私は読みかけ...
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エメラルドの湖

山あいの小さな村の奥に、エメラルド色に輝く湖があった。名を「翠湖(すいこ)」という。朝日を受ければ翡翠のように、夕暮れには金を溶かしたように輝くその湖は、村人たちにとって特別な存在だった。湖のほとりには、一軒の小さな茶屋がある。主人の志乃は...