面白い

土の城の住人たち

森の奥深くに、ひときわ大きな蟻塚があった。高さは子どもの背丈ほどもあり、まるで小さな城塞のように盛り上がっていた。土の壁は幾度もの雨風を耐え抜いて固く、内部には無数の通路が走り、卵を守る部屋、食糧を蓄える倉庫、働き蟻たちの寝床が整然と分かれ...
不思議

星を飲む町

その町には、不思議な習慣があった。年に一度、夜空から星が降りてくるのだ。大きな隕石ではない。手のひらほどの光の粒が、ふわふわと舞い降り、路地や屋根の上に静かに積もる。町の人々はそれを「星のしずく」と呼び、集めては小さな瓶に閉じ込め、ひと口ず...
面白い

整理の向こう側

佐伯美香は、小さなワンルームの部屋に住んでいる。会社勤めの事務員で、特別派手な趣味があるわけではない。けれども彼女には、人から不思議がられるほど熱中していることがある――収納だ。棚に並ぶ書類はラベルの色で瞬時に区別でき、衣類は色と季節ごとに...
食べ物

せんべい屋の灯

町のはずれに、小さなせんべい屋がある。古びた木の引き戸を開けると、香ばしい醤油の香りが鼻をくすぐり、客の足を自然と止める。看板には墨文字で「松風堂」とある。主人の松田寅吉は七十を越えたが、今も毎朝、夜明け前に窯に火を入れ、手を止めることはな...
食べ物

赤い皿が導いた道

直樹が初めてペスカトーレを口にしたのは、大学二年の夏だった。友人に誘われて入った小さなイタリアンレストラン。木の扉を押し開けると、にんにくとオリーブオイルが熱された香りが鼻を突き抜け、奥の席から賑やかな笑い声が響いてきた。メニューを眺めなが...
面白い

荷台に揺れる約束

町はずれの整備工場の片隅に、一台の古びたトラックが眠っていた。青い塗装はところどころ剥がれ、荷台には小さな錆が浮かんでいる。エンジンをかけると少し苦しそうな音を立てるが、それでも確かな力を残していた。このトラックの持ち主は、四十代半ばの運送...
食べ物

ミニトマトの赤い記憶

小さな庭の片隅に、毎年必ず赤く実るものがある。美咲が育てるミニトマトだ。春先に苗を買って植え付け、初夏には青い実が膨らみはじめ、夏の日差しをたっぷり浴びて、やがて赤く弾けるように色づく。その瞬間がたまらなく好きで、美咲は毎朝の水やりを欠かさ...
食べ物

優しい甘みの中で

幼い頃、祖母の家に遊びに行くと、必ず木の器に盛られた黒糖がちゃぶ台の上に置かれていた。小さな手でつまむと、ざらりとした表面が指先に心地よく、口に含めば濃厚な甘みとやさしい香ばしさが広がった。健太は、その記憶を何度も思い返しては、胸の奥に温か...
面白い

ユリが咲くたびに

夏の初め、真白なユリが庭先に並ぶ季節になると、里奈は決まって足を止めた。風に乗って漂ってくる濃厚で甘やかな香りは、彼女の心を遠い昔へと引き戻す。幼い頃、里奈の祖母は庭一面にユリを植えていた。祖母の背丈ほどに伸びた茎の先に大きな花が咲くと、家...
面白い

風を抱きしめるオープンカー

春の風が街をやさしく撫でる午後、直樹はガレージのシャッターを開けた。そこには、鮮やかな赤のオープンカーが眠っている。十年前、父と一緒に中古で買った車だった。父は数年前に亡くなったが、この車だけは手放せずにいた。エンジンをかけると、低い音が胸...