食べ物

ひと缶のやさしさ

夏の終わり、商店街のはずれにある古びた食料品店「まるや商店」では、毎年恒例の“在庫一掃セール”が始まっていた。棚の奥から引っ張り出された商品の中に、ひときわ目立つオレンジ色の缶詰があった。金色のふたに、レトロな字体で「特選みかん」と書かれた...
食べ物

白いスプーンの約束

冷蔵庫を開けるたび、結月(ゆづき)は無意識に生クリームの容器を探してしまう。小さなプラスチックのカップ、ふたを開けると、雪のようにふわりと盛り上がった白い山。スプーンですくえば、しゅわん、と音がするような気がして、口に含めば静かに消えていく...
食べ物

夏の丸い記憶

「今年も、来たなあ」六月の終わり、商店街の八百屋「山下青果」の店頭にスイカが並びはじめたとき、望(のぞみ)は心の中でそう呟いた。スイカが出始めると、夏が本当に来た気がする。汗ばむシャツと、昼間のセミの声と、縁側でかじったあの甘さと。スイカは...
動物

北の森のヌプリ

北海道の奥深い山中に、「ヌプリ」と呼ばれる一頭のヒグマが暮らしていた。アイヌ語で「山」という意味を持つその名は、まだヌプリが小熊だった頃、森で暮らす老人に名付けられた。ヌプリは生まれつき体が大きく、毛並みは深い焦げ茶色で、目は琥珀色に輝いて...
面白い

筆先に咲く花

陽向(ひなた)は、小さな田舎町に暮らす二十五歳の女性だった。小学校の頃から、授業中でもノートの端に絵を描いては先生に叱られるような子だった。けれど、その絵にはどこか温かく、見た人をホッとさせる力があった。「また落書きか」と言われても、陽向に...
食べ物

白き菜に、春を待つ

冬の終わり、東京の片隅にひっそりと佇む八百屋「まつ乃屋」の店先に、今年も瑞々しい白菜が並び始めた。「うん、この巻き方、最高だねえ……!」小柄な女性がその場にしゃがみ込み、ひとつひとつの白菜をじっくりと撫でるように見つめている。彼女の名は井坂...
面白い

靴下屋「ひなた」の午後

駅から少し離れた静かな商店街の一角に、木の看板が優しく揺れる小さな店があった。店の名前は「ひなた」。その名の通り、陽だまりのような暖かさを持つ空間だ。しかしこの店には、少し風変わりなこだわりがあった——靴下しか置いていないのである。店主は三...
食べ物

林檎坂(りんござか)のひとりごと

林檎坂(りんござか)という名前の小さな町があった。坂道の両脇にはりんごの木がずらりと並び、春には白い花が風に舞い、秋には赤く実った果実の香りが空気を染めた。その町に、佐々木実(ささき・みのる)という老人がひとりで暮らしていた。彼は元教師で、...
動物

潮騒に耳を澄ませて

小さな港町で育った遥(はるか)は、物心ついたころから海が好きだった。朝、登校前に防波堤で潮風を浴び、放課後には浜辺で貝殻を拾った。夏休みになると、町外れの小さな水族館で開かれるイルカショーを、何度も何度も繰り返し観た。ジャンプのタイミング、...
面白い

静かなる厨房

昔ながらの商店街の一角に、小さな工房「まるや食品模型店」はひっそりと佇んでいた。そこでは、店主の原田慎一(はらだしんいち)が一人、食品サンプルを作り続けている。慎一は子どもの頃から、なぜか「偽物」が好きだった。プラスチックの果物、精巧なミニ...