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鉄の匂いと夕焼け

山のふもとに、小さな鉄工所がある。看板は色あせ、錆びたトタンの屋根が風に軋んで鳴る。そこに勤めて二十年になる男がいる。名を川島透(かわしまとおる)、五十歳。無口で、無骨で、無事故が自慢のベテラン職人だ。透は、毎朝五時に起き、弁当を詰め、まだ...
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緑の香り、夏の記憶

ライムの香りがすると、沙季は小さく笑う。それは夏の記憶と結びついている。じりじりと照る太陽と、海辺の風と、氷が弾ける音。彼女の人生において、ライムはただの果物ではなかった。沙季がライムに出会ったのは、小学六年生の夏休み。母親に連れられて訪れ...
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灰色の宝石

鹿児島県の小さな町に住む立花遥(たちばな・はるか)は、幼い頃から火山灰に囲まれて育った。桜島の噴火は日常で、洗濯物は灰で真っ白、車のワイパーはすぐに傷む。それでも彼女は「この町が好き」と笑っていた。大学卒業後、遥は一度東京で働いていた。だが...
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炭火のぬくもり

東京の下町、商店街のはずれに、ぽつんと赤ちょうちんが灯る焼き鳥屋「とりよし」がある。暖簾をくぐると、炭火の香りと、じゅうじゅうと肉が焼ける音が出迎えてくれる。カウンターだけの小さな店を営んでいるのは、五十代の店主・吉田誠(よしだまこと)だ。...
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静かな歩幅

早川理沙は、人混みが苦手だった。東京に住んで十年になるが、満員電車にはいまだに慣れない。誰かの息遣い、香水や汗の匂い、知らない肩が押しつけられる感覚。どれも彼女にとっては耐えがたいもので、乗るたびに胸の奥がざわついた。彼女の職場は新宿にある...
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春雨色の約束

ソウルのはずれ、小さな路地裏にひっそりと佇む食堂がある。店の名前は「ハルモニの味」。古びた木の看板に手書きの文字が味わい深く、通りがかる人が思わず立ち止まってしまうような、そんな温もりを感じさせる佇まいだ。この店の看板料理は、チャプチェ——...
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ガラスの靴に触れた日

幼い頃、茉莉(まつり)は祖母の家の本棚にあった一冊の絵本を何度も読み返していた。タイトルは『シンデレラ』。灰かぶり娘が魔法で美しいドレスをまとい、ガラスの靴を履いて舞踏会に現れる物語。その中でも、茉莉が特に心惹かれたのは、あの透明な靴だった...
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チューリップの約束

春の訪れを告げるように、町の小さな丘に咲き誇るチューリップ畑がある。その花畑を、誰よりも大切にしてきたのが、七海(ななみ)という女性だった。七海は幼い頃、祖母と一緒にチューリップの球根を植えた記憶がある。まだ手のひらよりも小さかったその球根...
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キラキラのかけら

町外れの古びた文房具店「つばめ堂」には、ひっそりと貼られたシール帳がある。陽に焼けた棚の隅に、それはまるで宝物のように置かれている。そんなシール帳を見つけたのは、小学六年生の早川ひなただった。ひなたは、キラキラしたシールを集めるのが大好きだ...
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香りの扉の向こうへ

駅から少し離れた、古いレンガ造りの路地裏に、その店はある。木の扉に白いリースが飾られた「Candle Atelier LUNA」。看板には、小さく「香りは、記憶を連れてくる」と書かれている。店主は三好茉莉(みよし・まり)、三十歳。彼女はもと...