食べ物

たまご色のしあわせ

古川日和(ふるかわひより)がオムライスに恋をしたのは、小学二年生の夏だった。母が作ってくれた、ふんわりたまごに包まれたチキンライス。その上に描かれた不器用なケチャップのスマイルマーク。それが、どんな高級レストランの料理よりも、彼女の心を満た...
動物

風のマングース

島の西側に広がる草原に、一匹のマングースが住んでいた。名前はクー。小柄でしなやかな体つき、琥珀色の瞳が特徴の若いマングースだった。クーの住む島には、昔から伝わる言い伝えがあった。「風の谷にたどり着いた者は、本当の強さを知る」。マングースの一...
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香りの行方

静かに扉が閉まる音が、研究室の中に微かに響いた。硝子瓶がずらりと並ぶ棚の前で、立花美香は白衣の袖をまくり上げ、慎重にスポイトで液体を吸い上げた。彼女が目指しているのは「調香師」。香りの世界に命を吹き込む仕事だ。花、果実、樹木、土――自然のす...
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ダリアの庭で

祖母の家には、季節になるとダリアの花が咲き誇る庭があった。背の高い茎に大きく開いた花びらが、赤、黄色、紫、白と色とりどりに揺れていた。幼い頃、夏休みにその庭で虫を追いかけたり、スケッチブックを持って座り込んだりした記憶が、今でも鮮やかに残っ...
食べ物

あつあつの心

真冬の朝、空気は凍るように冷たいのに、陽子の心はどこか温かかった。それは今夜、久しぶりに「スンドゥブチゲ」を作ると決めたからだ。陽子は28歳の会社員。広告代理店で忙しい日々を過ごしていた。人付き合いはそこそこ、恋人はしばらくいない。でも、そ...
食べ物

桃のやさしさ

朝露がまだ残る夏の早朝、佐々木杏はいつものように、小さなキッチンで桃の皮を丁寧にむいていた。包丁を入れた瞬間に広がる甘い香りは、杏にとって一日の始まりを告げる合図だった。杏は静かな町の片隅で「こもれび喫茶」という小さなカフェを営んでいる。都...
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鉄の匂いと夕焼け

山のふもとに、小さな鉄工所がある。看板は色あせ、錆びたトタンの屋根が風に軋んで鳴る。そこに勤めて二十年になる男がいる。名を川島透(かわしまとおる)、五十歳。無口で、無骨で、無事故が自慢のベテラン職人だ。透は、毎朝五時に起き、弁当を詰め、まだ...
食べ物

緑の香り、夏の記憶

ライムの香りがすると、沙季は小さく笑う。それは夏の記憶と結びついている。じりじりと照る太陽と、海辺の風と、氷が弾ける音。彼女の人生において、ライムはただの果物ではなかった。沙季がライムに出会ったのは、小学六年生の夏休み。母親に連れられて訪れ...
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灰色の宝石

鹿児島県の小さな町に住む立花遥(たちばな・はるか)は、幼い頃から火山灰に囲まれて育った。桜島の噴火は日常で、洗濯物は灰で真っ白、車のワイパーはすぐに傷む。それでも彼女は「この町が好き」と笑っていた。大学卒業後、遥は一度東京で働いていた。だが...
食べ物

炭火のぬくもり

東京の下町、商店街のはずれに、ぽつんと赤ちょうちんが灯る焼き鳥屋「とりよし」がある。暖簾をくぐると、炭火の香りと、じゅうじゅうと肉が焼ける音が出迎えてくれる。カウンターだけの小さな店を営んでいるのは、五十代の店主・吉田誠(よしだまこと)だ。...