食べ物

千切り日和

「今日も完璧だ」そう呟いて、佐藤律子はまな板の上のキャベツを見下ろした。薄く、均一に、風に舞うようにふんわりと削がれたその千切りは、もはや芸術だった。包丁の軌道をなぞるように、まるで音楽を奏でるかのように彼女はキャベツを刻む。律子は五十歳を...
食べ物

辛子の記憶

白井芳子(しらい・よしこ)は、幼いころから辛子が好きだった。黄色くて、鼻に抜けるような刺激のあるあの味が。小学校の給食で出たシュウマイに、申し訳程度に添えられていた小さな辛子の塊。友達が残したそれを集めては、一口にまとめて食べていた。鼻がツ...
食べ物

ごぼうの漬物と、あの頃の光

「これは、おばあちゃんの味だ」そう呟いて、清水遥(しみず・はるか)は、ひと切れのごぼうの漬物を口に運んだ。ポリッという歯ごたえとともに、醤油とみりん、そしてかすかに香る山椒の風味が広がる。子供のころから何度も味わった、懐かしい味。けれど、今...
面白い

晴れ女と雨の街

真奈(まな)は、自他ともに認める「晴れ女」だった。運動会の日も、旅行の日も、大事な発表会の日も、すべて青空が広がっていた。子どものころからそうだった。朝から土砂降りでも、彼女が出かける時間にはぴたりと止んで、空が割れたように日が差す。まるで...
食べ物

ジャージャー麺のある風景

昼下がりの商店街。古びた時計屋の隣に、赤いのれんがひらひらとはためいている。店の名前は「栄楽亭」。メニューの一番上には、堂々と「特製ジャージャー麺」の文字が書かれている。佐伯ひろし、五十五歳。商社勤めを早期退職してからは、週に三回、この「栄...
食べ物

緑の一杯

駅から徒歩三分、古いアパートの一階にその店はあった。看板も出ていない。ガラス越しに見えるのは、木のカウンターと、壁一面に並んだガラス瓶。赤や緑、オレンジの液体が、陽の光に照らされてきらめいている。その店「ジュース工房・あおば」の主人は、藤井...
面白い

夜明けのスタンド

午前4時、まだ街が眠る時間。中山修二はいつものようにガソリンスタンドのシャッターを開けた。郊外の片隅にあるこのスタンドは、24時間営業という名目だが、深夜帯の客はほとんどいない。それでも誰かがいなければならない。修二は48歳。妻とは数年前に...
面白い

氷を愛する男

雪の舞う町、北ノ沢に住む一人の男がいた。名は白崎仁。年齢は四十を越えていたが、彼には少年のような目の輝きがあった。それは、「氷」がもたらすものだった。白崎は地元の高校で物理の教師をしていた。真面目で口数は少ないが、生徒からの信頼は厚かった。...
食べ物

月灯りの大福

春野遥(はるのはるか)は、三十歳を目前に控えた会社員だ。職場では無難に働き、友人とは適度な距離を保ち、恋愛はご無沙汰。そんな彼女の唯一の楽しみは、大福を食べることだった。白あん、黒あん、よもぎ、いちご、塩豆、ティラミス、チョコレート、マスカ...
不思議

星を飼う少女

ある町の外れに、古びたガラス工房があった。もう何年も前に店じまいしたその工房には、ひとりの少女が住んでいるという噂があった。名前を知る者はいない。ただ、人は彼女をこう呼んだ。「星を飼う少女」と。夜になると、その工房の天窓から微かな光が漏れる...