面白い

緑茶の香りと急須

祖母の家に行くと、いつも台所の隅に小さな急須があった。深い緑色で、表面には細かいひび模様――貫入が走っている。それは祖母が若い頃、嫁入り道具として持ってきたものだという。取っ手は少し欠け、注ぎ口も丸みを失っていたが、祖母は「まだまだ使えるよ...
面白い

風とペダルとわたし

春の匂いが漂う土曜日の朝。空は透き通るような青色で、雲はまるでゆっくりと流れる綿菓子のようだった。中学二年生の美咲は、ガレージに置かれた自転車の前で胸を高鳴らせていた。去年の誕生日に両親からもらった、淡いミントグリーンのクロスバイク。冬の間...
食べ物

赤いソースの記憶

佐伯美咲は、昼休みになると決まって社食には向かわず、会社の近くにある小さな洋食屋「グリル山本」に足を運ぶ。暖簾のように下がった赤いカーテンをくぐると、店主の山本が「いつもの?」と聞いてくる。美咲は笑って「もちろん」と返す。そう、彼女の「いつ...
動物

森の語り部・シロヘビ

深い森の奥、誰も近づかない古い大樹の根元に、一匹の白いヘビが棲んでいました。名前はシロ。年齢は誰にもわからず、森の動物たちの間では「千の季節を知る者」として知られていました。シロは特別な力を持っていました。森で起こった出来事や動物たちの記憶...
食べ物

あたたかな一杯

冬の朝、窓の外には白い息を吐くように雪が降っていた。小さな喫茶店「すずらん」の厨房で、店主の美咲は玉ねぎを刻んでいる。包丁がまな板を打つ軽やかな音と、玉ねぎ特有の甘い香りが、まだ冷たい空気の中にゆっくり広がっていく。美咲がこの店で一番大切に...
面白い

流れ星の約束

八月の夜、町の灯りが届かない丘の上に、彩夏は毛布を敷いて寝転がっていた。昼間は蝉がうるさいほど鳴いていたが、今は虫の声と遠くの川のせせらぎだけが耳に届く。頭上には、満天の星。空気が澄んでいるせいか、手を伸ばせばつかめそうなほど輝いていた。「...
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白の記憶

古いアトリエの奥、埃をかぶった木製トルソーに、一着のウェディングドレスがかかっていた。長い年月を経て色はわずかにアイボリーへと変わっているが、胸元の繊細なレースや裾の刺繍は、まだ息をのむほど美しい。佐倉美咲は、そのドレスを見上げて立ち尽くし...
不思議

月映(つきばえ)の池

――村のはずれに、小さな池がある。周囲をぐるりと囲むように柳が立ち、風が吹くたびに細い枝が水面をくすぐる。池は深くも広くもないが、不思議と一年中、水が澄んでいた。夏の終わりには白い睡蓮が咲き、冬でも氷が厚く張らない。その池のそばに、よく座っ...
食べ物

ベーグル日和

朝、目が覚めると同時に、結衣はベーグルのことを考える。もちっとした食感、香ばしい香り、焼きたての湯気。仕事に向かう前の慌ただしい時間でも、ベーグルだけは欠かせない。彼女がベーグルに出会ったのは三年前。ニューヨーク旅行の最終日、ホテル近くの小...
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風のベンチ

朝の光が差し込む小さな町の公園。すべての季節を穏やかに受け入れるその場所を、沙耶は十年以上も通い続けている。年齢は三十二。独身。事務職として平日は都内のビルで働いている。電車に揺られ、書類をさばき、エクセルを開いては閉じる。特別なことはない...