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筆先に咲く花

陽向(ひなた)は、小さな田舎町に暮らす二十五歳の女性だった。小学校の頃から、授業中でもノートの端に絵を描いては先生に叱られるような子だった。けれど、その絵にはどこか温かく、見た人をホッとさせる力があった。「また落書きか」と言われても、陽向に...
食べ物

白き菜に、春を待つ

冬の終わり、東京の片隅にひっそりと佇む八百屋「まつ乃屋」の店先に、今年も瑞々しい白菜が並び始めた。「うん、この巻き方、最高だねえ……!」小柄な女性がその場にしゃがみ込み、ひとつひとつの白菜をじっくりと撫でるように見つめている。彼女の名は井坂...
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靴下屋「ひなた」の午後

駅から少し離れた静かな商店街の一角に、木の看板が優しく揺れる小さな店があった。店の名前は「ひなた」。その名の通り、陽だまりのような暖かさを持つ空間だ。しかしこの店には、少し風変わりなこだわりがあった——靴下しか置いていないのである。店主は三...
食べ物

林檎坂(りんござか)のひとりごと

林檎坂(りんござか)という名前の小さな町があった。坂道の両脇にはりんごの木がずらりと並び、春には白い花が風に舞い、秋には赤く実った果実の香りが空気を染めた。その町に、佐々木実(ささき・みのる)という老人がひとりで暮らしていた。彼は元教師で、...
動物

潮騒に耳を澄ませて

小さな港町で育った遥(はるか)は、物心ついたころから海が好きだった。朝、登校前に防波堤で潮風を浴び、放課後には浜辺で貝殻を拾った。夏休みになると、町外れの小さな水族館で開かれるイルカショーを、何度も何度も繰り返し観た。ジャンプのタイミング、...
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静かなる厨房

昔ながらの商店街の一角に、小さな工房「まるや食品模型店」はひっそりと佇んでいた。そこでは、店主の原田慎一(はらだしんいち)が一人、食品サンプルを作り続けている。慎一は子どもの頃から、なぜか「偽物」が好きだった。プラスチックの果物、精巧なミニ...
動物

森のクッキー屋さん 〜くまのコンラッドの物語〜

深い森の奥、シダと木苺の茂る小道を進んだところに、小さなクッキーのお店がある。屋根には苔がふかふかに生え、煙突からはほんのり甘い香りが立ちのぼっている。お店の名は「クマのコンラッドのクッキー屋さん」。店主は、その名の通り、大きな体に優しい目...
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和紙のひかり

小川紬(つむぎ)は、祖父の和紙工房で育った。岐阜の山奥、清流のほとりにある古びた工房は、春になると紙を漉(す)く音と水のせせらぎが響き合う。幼いころから、祖父が漉く和紙の白さに魅せられてきた。手にすると、冷たく、けれど温かい。指の先でそっと...
食べ物

あられ日和

春先、陽だまりの縁側に腰を下ろして、千夏は一粒のあられを口に運んだ。ぱりっと軽やかに砕け、甘辛い醤油の風味が広がる。幼い頃から変わらず好きな味だ。千夏の実家は、商店街のはずれにある小さな米菓子店「藤乃屋」。祖父が始め、父が継いだその店で、千...
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池のほとりの約束

町はずれにひっそりとある小さな釣り堀「山岸つり池」。主である山岸達夫は、六十を過ぎた初老の男だった。背は低く、日焼けした肌に深い皺。いつも麦わら帽子を被り、寡黙だが笑うと少年のような表情を見せた。もともと達夫は都内でサラリーマンをしていた。...