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月夜のビスケット店

駅前から続く小さな商店街の外れに、「ビスケット日和」という店がある。木造の可愛らしい建物で、看板には手描きのビスケットと、ふわりとした筆致で店名が書かれていた。昼間は人通りが少ないが、不思議なことに夜になると、ぽつりぽつりと客が訪れる。店主...
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アジフライの向こう側

港町・葉浜(はばま)に住む三十六歳の独身男、佐伯修司は、アジフライが好きだった。好きというより、執着に近い。週に五回は食べる。昼に食べ、夜にも食べる。冷凍のアジフライは認めない。手で捌いたアジからでなければ、アジフライとは呼べないと信じてい...
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白い蜜の記憶

小学生の頃、夏になると必ず母がかき氷を作ってくれた。赤いイチゴのシロップと、ぽってりと重たい練乳をたっぷりかけてくれるのが恒例だった。俺はそれが大好きだった。氷の冷たさに歯を浮かせながらも、練乳の甘さを追い求めてスプーンを動かし続ける。底の...
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ガーリックの香りに包まれて

あの通りには、いつもふんわりとパンの焼ける匂いが漂っていた。小さな商店街の端にある、木造の古びた一軒家。その扉には手描きの看板がぶら下がっている。「GARLIC MOON – ガーリックトースト専門店」。控えめな字体の下に、小さな月のイラス...
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赤い記憶

小さなアパートの台所に、今日も香ばしい匂いが立ち込めている。フライパンに落とされたにんにくとごま油がじゅうじゅうと音を立て、続いて炒められる豚肉と玉ねぎが甘い香りを加える。その中心に、赤く光るペーストが溶けていく。――コチュジャン。田中理沙...
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みたらしの味

雨上がりの夕暮れ、商店街の一角にある小さな和菓子屋「まるよし堂」から、ほのかに甘じょっぱい香りが漂っていた。串に刺さった小ぶりの団子に、照りのある琥珀色のみたらし餡がとろりとかかっている。「やっぱ、これだよなあ……」そう呟きながら、団子を一...
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ちらし寿司の記憶

春の終わり、町外れの古びたアパートの一室で、佐藤美沙(さとう・みさ)は冷蔵庫を開けた。冷蔵庫の中には、買い置きしてあった錦糸卵、甘酢生姜、冷凍のエビ、きゅうり、そして一昨日炊いて冷凍しておいた酢飯用のご飯。彼女は思わず小さく笑ってつぶやいた...
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フランスパンをかじる音

藤堂遥(とうどうはるか)は、フランスパンが好きだった。ただの「好き」ではない。恋に近い執着が、あの香ばしく焼かれたパンに向かっていた。遥が住む街には、小さなパン屋「ル・ミエル」がある。築六十年は経っていそうな古い洋館の一角、朝になるとバター...
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春の約束

祖母が亡くなった春、私は実家の縁側で、一人桜を見上げていた。風が吹くたびに、はらはらと花びらが舞い落ちる。その景色は、幼いころ祖母に手を引かれて歩いた、あの日の参道を思い出させた。「今年も、桜餅を作ろうな」毎年、桜が咲くころになると、祖母は...
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チョコレートドーナツの約束

陽が落ちかけた商店街を、さゆりは小走りで駆け抜けた。駅前のベンチに座るあの人の手には、いつもチョコレートドーナツがある。今日も、きっと。「間に合え、間に合え……!」さゆりが目指すのは、商店街のはずれにある小さなパン屋「サンリオ」。焼きたての...