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風を泳ぐ日

春の終わり、町のはずれにある小さな川沿いの家に、古びた鯉のぼりがあった。布は少しくすみ、尾びれには何ヶ所かほつれも見える。けれど、晴れた日には、赤、青、黒、色とりどりの鯉たちが、風に乗って空を泳いだ。その家には、幼い頃から病弱だった少年・海...
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春風に泣く

春の陽射しは、すべてを祝福するように街を包み込んでいた。駅前の広場には、桜がほころび、子どもたちの笑い声が風に乗る。だが、紺野美咲にとって、それは呪いの季節だった。マスク、メガネ、長袖。完全防備でも、彼女の鼻はぐずぐずと鳴り続ける。目は赤く...
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チョコレートドーナツの約束

陽が落ちかけた商店街を、さゆりは小走りで駆け抜けた。駅前のベンチに座るあの人の手には、いつもチョコレートドーナツがある。今日も、きっと。「間に合え、間に合え……!」さゆりが目指すのは、商店街のはずれにある小さなパン屋「サンリオ」。焼きたての...
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クッションの森

佐伯奈々は、クッションが好きだった。それはもう、普通の「好き」ではない。ソファに並べるための数個では足りず、気がつけば部屋中が大小さまざまなクッションで埋まっていた。丸いもの、四角いもの、星型、ハート型、動物の形をしたもの。ふわふわ、もふも...
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湯煙に宿るもの

冬の終わりが見え始めた三月のある日、早川千紘は一人、小さな山間の温泉地に降り立った。雪はまだ残っていたが、空気にはわずかな春の香りが混じり始めていた。千紘はとにかく「温泉」が好きだった。熱すぎず、ぬるすぎず、身体の芯からゆっくりと温まってい...
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土に還る男

会社を早期退職して半年、佐々木誠一(ささき せいいち)は毎日が退屈だった。若い頃から働きづめで、休みの日さえ何かしら予定を入れていた。だが、定年より少し早く会社を辞めてみると、時間の使い方がまるでわからなくなった。朝起きて、コーヒーを淹れて...
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ラベンダーの丘で

山あいの静かな村に、ひとりの男がいた。名は佐久間慎一。年の頃は五十を過ぎ、髭には白いものが混じっていたが、背筋はまっすぐで、眼差しは少年のように澄んでいた。慎一は二十代の頃、東京の広告会社で働いていた。クリエイティブな仕事に憧れ、寝る間も惜...
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泡の向こうの約束

深夜のバーは、まるで時間が止まったように静かだった。東京・麻布の裏路地にひっそりと佇むその店「Étoile」は、看板も出していない。けれど、毎週金曜の夜十時になると、彼女は決まって姿を現す。名は、結城 澪(ゆうき・みお)。年齢不詳、職業不明...
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午後四時のアールグレイ

日暮れの街は、橙色のヴェールをまとっていた。東京の外れ、小さな喫茶店「Rainy Bell」では、カップの中からかすかにベルガモットの香りが立ち上っている。その店の奥、窓際の席にいつも同じ人物が座っていた。黒縁メガネに、古びたトレンチコート...
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わすれもののほんだな

まちのはずれに、ちいさな古本屋がありました。名前は「ふることば書店」。木の看板に、色あせた金色の文字がほこりをかぶっています。この店をひとりで切り盛りしているのは、40代の男の人。名前は安藤(あんどう)さん。いつも無口で、店の奥にこもり、誰...