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泡の向こうの物語

幼い頃から、遥(はるか)は風呂場の香りが好きだった。母が使うラベンダーの石鹸、祖母が愛した米ぬか石鹸、父が使う無香料の固形石鹸。それぞれの香りに、確かにその人の気配が染みついていた。泡立てた瞬間に立ち上る香りは、遥にとって記憶そのものだった...
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氷の音が聞こえる

水野透(みずの・とおる)は、氷を愛していた。ただの氷ではない。山から湧き出る清水を丁寧に濾過し、時間をかけて凍らせた、透明な、澄みきった氷。少年の頃、祖父の住んでいた信州の山荘で、透は初めて「きれいな氷」というものに触れた。朝の空気の冷たさ...
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水の魔術師

古谷慎一(ふるやしんいち)は、平凡な町工場で働く四十代の男だ。小柄で無口、昼休みも黙々と弁当をつつくだけの男に、周囲は特別な関心を持っていなかった。しかし、彼にはひとつだけ、異様な情熱を注いでいる趣味があった――高圧洗浄機である。きっかけは...
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焚き火の向こうに

山あいの小さな町に住む陽太(ようた)は、毎年春になると心がそわそわした。まだ雪の残る山肌に芽吹く若草の匂い、川のせせらぎ、そして何より、焚き火のはぜる音が恋しくなる。彼にとってキャンプは、ただの趣味ではなかった。日々の忙しさや人間関係のもつ...
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風になる日

朝の空気は、まだ少し肌寒かった。桜の花びらが風に舞い、歩道に淡いピンクの絨毯をつくっている。「今日も走ろう」内田陽平(うちだようへい)、35歳。都内の広告会社に勤めるサラリーマン。営業職で毎日遅くまで働き、日々のストレスも少なくない。それで...
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焙(ほう)じる日々

澄んだ秋の風が、古い商店街の角を撫でていく。風に乗って香ばしい香りがふわりと漂い、思わず足を止める人もいる。その源は、小さな店「焙日(ほうび)」からだ。店主の名は早川詠美(はやかわ えいみ)。三十七歳。かつては東京の広告代理店でバリバリ働い...
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オレンジの残り香

古川紗季(ふるかわ さき)は、どこに行くにもオレンジのアロマオイルを持ち歩いていた。小さな瓶をバッグに忍ばせ、疲れたときや落ち込んだとき、そっと蓋を開けては香りを吸い込む。甘くて、少し酸っぱくて、太陽のように明るい香り。その香りだけが、彼女...
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雲のむこうへ

機体番号JA8721、ボーイング787型機――この飛行機には、ある小さな秘密があった。それは、他のどの機体よりも「旅人の願いを叶える力」が少しだけ強い、ということだった。機長の藤崎大地は、それを知らなかった。彼にとって飛行機は、子どもの頃か...
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シナモン通りの小さな奇跡

古い町並みの一角に、「シナモン通り」と呼ばれる細い路地があった。秋になると、通り全体にシナモンと焼き菓子の香りが漂い、歩くたびに心まで甘く包まれる。そんな通りの小さなカフェ、「カメリア」は、町の人々に愛されていた。このカフェを営むのは、シナ...
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くまのぬいぐるみと、春の光

小さなアパートの一室に、咲良(さくら)は住んでいた。部屋の隅には、やや色あせた茶色いくまのぬいぐるみが、ちょこんと座っている。名前は「コロン」。高校生のころ、祖母が誕生日に贈ってくれたものだった。「もう大人なのに、ぬいぐるみなんて……」そう...