不思議

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ポケットに住みついた小さな宇宙

それに気づいたのは、帰り道のバスの中だった。いつものようにコートのポケットに手を入れたとき、指先に触れたのは、硬貨でも鍵でもなく、ひんやりとした空気だった。おかしいなと思って、そっと覗き込むと、そこには夜空が広がっていた。ほんとうに、小さな...
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くしゃみで世界がひっくり返る午後

午後三時、窓の外はやわらかな光で満ちていた。授業も終わり、部屋にひとりきりの時間。ぼくは机に突っ伏して、なんでもない日がそのまま過ぎていくのを、少しだけ惜しいと思っていた。そのときだった。「……は、は……」くしゃみの予感は、たいてい唐突にや...
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ちょっとだけ透明になった日

朝、目を覚ましたとき、ぼくは自分の手が少しだけ向こう側の景色を通していることに気づいた。窓の外の空が、うっすらと指の中に見えている。「……あれ?」手を振ると、光がゆらりと揺れた。完全に消えているわけじゃない。けれど、ガラスみたいに、ほんの少...
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くるくる回る放課後惑星

わたしの通う学校の屋上には、放課後だけ現れる惑星がある。チャイムが鳴り終わると同時に、屋上の空気が水面みたいにゆらぎ、そこに直径三メートルほどの小さな星が、くるくると回りながら降りてくるのだ。色は日替わりで、月曜はレモン色、火曜は群青、水曜...
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死神のインターン

わたしが死神のインターンになったのは、大学三年の春だった。きっかけは、履歴書の書き間違いだ。本当は「志望動機:人の役に立ちたい」と書くはずが、うっかり「人の終わりに立ち会いたい」と変換して送信してしまった。三日後、「採用」の通知が届いた。差...
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世界が一文字だけ欠けている

その朝、ニュースキャスターは真顔で告げた。「本日未明、世界から一文字が消失しました」冗談のようだった。けれど街の看板はたしかにどこかおかしい。駅前の「平和通り」は「平和通」に、「ありがとう」は「ありがと」に、「さようなら」は「さような」に変...
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時間を盗む猫

その猫は、夕暮れどきにだけ現れた。路地裏の壁にもたれ、わたしが仕事帰りの疲れをやり過ごしていると、足もとに柔らかな影が落ちる。見上げると、灰色の毛並みに金色の目をした猫が、こちらをじっと見ていた。首輪はない。けれど、どこか人慣れした顔つきだ...
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昨日を持たないアパート

古い三階建てのアパートには、不思議な決まりごとがあった。住人は誰一人として、「昨日のこと」を覚えていない。朝になると、廊下ですれ違う住人たちは必ず同じ会話を交わす。「はじめまして」「ええ、こちらこそ」名刺を渡す者もいれば、照れたように会釈す...
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存在しない昨日

町の図書館には、貸し出しも返却もされない棚が一列だけあった。背表紙には日付が書かれているが、どれも「昨日」とだけ記されている。正確な年月日はなく、昨日という言葉だけが何百冊も並んでいた。私はそこで働いて三年になるが、その棚について説明を受け...
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観測されなかった私

私は、誰にも観測されなかった。正確に言えば、存在していなかったわけではない。ただ、誰の視線にも、記録にも、測定器にも引っかからなかっただけだ。世界は観測されたものだけを「在る」と認める。名前、座標、体温、反応。どれか一つでも欠ければ、その存...