未来にだけ存在する図書館は、地図にも記録にも載っていない。
ただ、まだ起きていない出来事の隙間にだけ、ひっそりと建っている。
その図書館に入るには、「これから失うもの」をひとつ思い浮かべなければならない。
失恋でも、若さでも、あるいはまだ手に入れていない夢でもいい。
それを胸に強く抱いたとき、人は一瞬だけ未来側へ傾き、白い回廊の前に立つ。
案内役は司書のミオ。
年齢不詳で、どこか透明な声をしている。
彼女は言う。
「ここにあるのは、あなたがこれから読むはずだった本です」
棚に並ぶのは、すべて未刊の本。
背表紙にはタイトルも著者名もない。
ただ、触れた人の体温に反応して、淡く文字が浮かび上がる。
主人公の遼は、大学進学を前にして迷っていた。
夢だった天文学の道を選ぶか、家業を継ぐか。
父の背中と、まだ見ぬ星空のあいだで、心は裂けかけている。
遼が一冊を手に取ると、表紙に文字が滲んだ。
――『きみが選ばなかった夜のこと』
ページをめくると、そこには家業を継いだ未来の遼がいた。
店先で笑い、父と肩を並べる姿。
しかし夜になると、閉店後の屋上で、誰にも言えない後悔を抱え、星の代わりに街灯を見上げている。
次に手にした本は、
――『きみが遠ざけた朝の光』
そこには天文学者となった遼が描かれていた。
観測所で新しい星を発見し、歓声に包まれる。
だが父の葬儀の日、研究発表のため帰れなかった空白が、ページの端に黒い染みのように残っていた。
「どちらも、本当になりうる未来です」とミオは言う。
「でも、ここにあるのは“可能性”であって、“決定”ではありません」
遼は棚の奥に、ひときわ薄い本を見つける。
触れると、かすかな光が走った。
――『きみがまだ知らない選び方』
そこには、どちらかを捨てる物語ではなく、何度も迷い、何度も立ち止まりながら、自分なりの形を探す遼の姿があった。
遠回りし、失敗し、時に誰かを傷つけながら、それでも星を見上げることをやめない未来。
完璧ではない。
だが、ページの余白には、後悔よりも多くの「続き」があった。
「未来は、読んだとおりにはなりません」とミオは静かに言う。
「でも、読んだことで、選び方は変わる」
帰る時間が来ると、本は白紙に戻る。
図書館もまた、未明の空気に溶けていく。
現実に戻った遼の手には、何も残っていない。
ただ、胸の奥に、かすかな灯りがある。
どちらかを選ぶのではなく、選び続けるという覚悟。
未来にだけ存在する図書館は、今日も誰かの迷いの先で静かに開いている。
まだ書かれていない物語のために、空白のページを抱えながら。

