この街では、朝のニュースよりも先に「感情の天気予報」が発表される。
画面の中で微笑むのは、気象予報士ならぬ“心象予報士”のユリさんだ。
背景には等圧線ではなく、色とりどりの雲がゆっくりと流れている。
『本日の市内は、午前中いっぱい弱い不安が広がるでしょう。
午後からは西のほうより小さな期待が差し込み、夕方にはところどころで懐かしさのにわか雨が降る見込みです』
その予報を聞きながら、私はカーテンを開ける。
空は快晴なのに、胸の奥には薄い灰色が漂っている。
どうやら今日の予報は当たりそうだった。
感情の天気は、気圧の変化や潮の満ち引きのように、街全体にゆるやかに影響を与える。
誰かの強い怒りが低気圧となり、長い悲しみが停滞前線となる。
逆に、どこかで生まれた小さな喜びは、高気圧のように空気を押し上げる。
私はその観測所で働いている。
ビルの屋上には、大きな透明のドームがあり、そこに街の感情が淡い光となって集まる。
赤は焦燥、青は哀しみ、金色は希望。
色は混ざり合い、ゆらぎながら形を変える。
今日のデータは、予報通り不安が優勢だった。
原因はわかっている。
明日は、この街で長く愛されていた古い図書館の取り壊しの日なのだ。
図書館は、静かな喜びの発生源だった。
本をめくる音、窓辺の光、誰かが物語に救われる瞬間。
そのたびに、金色の粒子がふわりと立ち上り、街の空気を軽くしていた。
それが失われる前日。
人々は口に出さずとも、胸の奥で同じ曇りを抱えている。
「予報、変えられないの?」
同僚のミナが、観測盤を見つめながら呟く。
「予報は予報だよ。操作はできない」
けれど本当は、ほんの少しだけ、介入する方法がある。
観測ドームの中心には、小さな増幅器が置かれている。
微弱な感情を拾い上げ、街へと還す装置だ。
通常は自然発生したものしか扱わないが、誰かが強く願えば、種火のような感情を灯すこともできる。
私は迷った。
取り壊しは止められない。
明日の悲しみも消せない。
それでも、曇り空の向こうに、ほんの少しでも光を差し込ませることはできるかもしれない。
仕事を終えたあと、私は図書館へ向かった。
閉館間際の館内は静かで、木の匂いがやわらかく漂っている。
窓辺で小さな女の子が、一冊の本を抱きしめていた。
「ここ、なくなっちゃうの?」
母親にそう尋ねる声は、震えていた。
「でもね、本はなくならないよ。おうちでも読めるし、新しい図書館もできるんだって」
女の子は少しだけ考えて、それから言った。
「じゃあ、また会えるね」
その瞬間、私には見えた。
女の子の胸から、かすかな金色の粒子が立ち上るのを。
別れではなく、「また会える」と言った未来への信頼。
それは小さくても、確かな光だった。
私は急いで観測所へ戻り、増幅器を起動した。
ドームの中で、その金色を丁寧にすくい上げる。
強くしすぎないように、けれど消えないように。
やがて街の上空に、目には見えない薄い光の層が広がった。
翌朝の予報。
『本日は午前中、不安が残るでしょう。しかし午後からは、各地で再会の兆しが観測されています。ところにより、あたたかな希望が降る見込みです』
取り壊しの音が響く中、人々は涙をこぼしながらも、どこかで知っている。
終わりは、かならず次の頁につながっていることを。
夕方、街には静かな光が差した。
失われた建物の跡地に立つ人々の胸に、小さな金色が灯っている。
感情の天気は、完全には予測できない。
けれど、誰かが「また会える」と信じた瞬間、空模様は確かに変わる。
私は今日の観測記録に、そっと書き添えた。
――希望、ところにより持続。


