午後二時。
部屋の温度計は、きみがいた頃より二度低い数字を示していた。
エアコンは同じ設定のまま、カーテンも閉じたままなのに、その差だけがどうしても埋まらない。
きみがいなかった午後は、音が少なかった。
冷蔵庫の低い唸りと、壁時計の秒針だけが、規則正しく空気を刻んでいる。
きみがここにいた頃は、何も話さなくても、呼吸や衣擦れの音が、部屋を満たしていた。
あれは音というより、温度に近かったのかもしれない。
テーブルに置いたままのマグカップに触れると、すでに冷え切っていた。
きみはいつも、少しぬるくなるまで待ってから飲んでいたね、と、今さら思い出す。
思い出すたび、午後の気温がわずかに下がる気がした。
外では、季節外れの蝉が一匹だけ鳴いている。
きみはこの時間帯を「一日の影がいちばん長くなる頃」と呼んでいた。
光がまだ強く、でも確実に夕方へ傾いていく、不安定な温度。
きみがいない今、その影は誰にも踏まれず、床に伸びきったままだ。
ソファに腰を下ろすと、革がひやりと背中に張りつく。
きみがいた午後なら、ここはもう少し温かかった。
隣に座る体温が、部屋全体をわずかに押し上げていたから。
科学的に説明すれば取るに足らない変化なのに、失われると、世界はこんなにも寒い。
きみが最後に言った言葉を、何度も反芻する。
内容よりも、声の高さや、言い終わったあとの沈黙の温度ばかりが残っている。
言葉は消えても、温度だけが記憶に居座り続けるらしい。
午後三時を過ぎると、日差しが少しだけ弱まった。
温度計はさらに一目盛り下がる。
きみがいなかった午後は、ゆっくりと冷えていく運命にあるのだと、ようやく理解する。
誰も止められない、自然な現象のように。
それでも、窓を開けることはしなかった。
外の空気を入れたら、この部屋に残るきみの温度まで、全部流れてしまいそうだったから。
見えないけれど、確かにここにあるものを、失うのが怖かった。
夕方が近づく頃、温度計はきみがいなくなった日と同じ数字で止まった。
きみがいなかった午後の温度。
それは、記録できる数字よりも、ずっと曖昧で、ずっと確かなものだった。
私はその冷えた空気の中で、きみのいない午後を、今日も静かに抱えている。


