きっと誰かの途中

面白い

それは、きっと誰かの途中の物語だった。

駅前の古いベンチに、読みかけのノートが置かれていた。
表紙は擦り切れ、雨に滲んだ跡が残っている。
誰かが忘れたのか、それとも置いていったのかは分からない。
ページを開くと、物語は唐突に始まり、そして同じくらい唐突に途切れていた。

「――ここまで来れば、もう戻れない気がした。」

そこから先は白紙だ。

書き手は、何かを決めかねていたのだと思う。
進むか、引き返すか。告げるか、黙ったままでいるか。
文字の癖から、急いで書かれた部分と、何度も書き直された行が混在しているのが分かる。
途中までの物語は、未来へ向かう決意のようにも、別れの前触れのようにも読めた。

私はノートを閉じ、ベンチの横にそっと置き直した。
続きを勝手に想像することはできたけれど、しなかった。これは私の物語ではないからだ。

夕方になると、駅に人が増えた。誰もノートに気づかない。まるで、物語そのものが「まだ読まれたくない」と言っているみたいだった。

翌日、同じ時間にまたそこを通った。ノートはまだあった。ただ一ページだけ、新しい文字が増えている。

「――今日は、ここまで。」

それだけだった。

書き手は戻ってきたのだろう。物語は終わっていない。ただ、一日分だけ先へ進んだ。それは完成よりもずっと弱く、でも確かに生きている証だった。

私は思う。世界には、最後まで語られない物語が無数にある。途中で止まり、誰かの胸の奥にしまわれたままの物語。結末を持たないことは、失敗ではない。途中であること自体が、その人がまだ歩いている証なのだ。

数日後、ノートは消えた。持ち主が連れて帰ったのか、別の誰かの途中になったのかは分からない。

けれど今も、どこかで続きを書いている気がする。まだ言葉にならない一行を抱えたまま、物語の途中を生きている誰かが。

そしてそれは、もしかしたら私自身のことなのかもしれなかった。