この街では、文章は一定の時間が経つと消える。
紙に書いた文字も、画面に打ち込んだ言葉も、記録として保存されたはずのデータでさえ、七日を過ぎると痕跡を残さず消失する。
それは法律でも災害でもなく、ただ「そういう現象」として受け入れられていた。
人々は長い文章を書かなくなった。
日記は一日限りの感情の吐息になり、手紙は読まれることを前提としない独白になった。
どうせ消えるのなら、重たい言葉は持たないほうがいい。
誰もがそう思っていた。
私の仕事は、消える前の文章を読み、分類し、最後に確認ボタンを押すことだった。
内容に意味はない。
意味があっても残らない。
残らないものを扱う仕事は、不思議と心を軽くした。
その日も、無数の文章が流れてきた。
「今日は雨だった」
「あなたの声を思い出した」
「大丈夫だと言われたかった」
確認、確認、確認。
そして、ある文章の前で、指が止まった。
一行だけの、短い文章だった。
「まだ、ここにいる」
それだけだった。
主語も宛先もない。
ただの現在形。
私は一瞬、既視感のようなものを覚えた。
誰かが誰かに向けて書いたのか、それとも自分自身に向けたものなのか。
判断する材料はなかった。
規則通りなら、私は確認ボタンを押し、その文章は数時間後に消えるはずだった。
けれど、消えなかった。
翌日も、その一行はそこにあった。
七日目を過ぎても、何事もなかったように、同じ場所に。
私は上司に報告したが、ログには異常がなかった。
「たまにある表示遅延だろう」
そう言われて終わった。
だが、私には分かった。
これは遅延ではない。
拒絶だ。
この一行は、消えることを拒んでいる。
私は毎日、その文章を読むようになった。
変化はない。
ただ「まだ、ここにいる」と書かれているだけなのに、読むたびに意味が少しずつ変わる気がした。
ある日は、誰かが取り残されているように見えた。
ある日は、必死に存在を証明している声に聞こえた。
そしてある日は、静かに待っているように思えた。
私は気づいた。
この街では、文章は消える。
けれど、書かれた理由までは消えない。
忘れられた言葉の行き場がなくなったとき、たった一行だけ、どこにも行けずに残ったのではないか。
試しに、私は返信を書いてみた。
「見つけた」
その瞬間、画面が一度だけ明滅した。
次の瞬間、私の書いた文字は消えていた。
だが、あの一行は残ったままだった。
「まだ、ここにいる」
まるで、少しだけ安心したように。
それから私は理解した。
この一行は、記録されるために存在しているのではない。
読まれるためでもない。
誰かに見つけられるまで、消えないのだ。
私が仕事を辞めた日も、その文章はそこにあった。
街を離れる前、最後にもう一度だけ画面を開く。
「まだ、ここにいる」
私は小さく頷いた。
大丈夫だ。もう、独りじゃない。
画面を閉じると、初めて、その一行は静かに消えた。
まるで役目を終えた言葉のように。

