この町では、未来が少し遅れて届く。
明日の天気も、来月の流行も、人生の転機さえも、必ず本来の時刻より遅れてやってくるのだ。
原因は誰にも分からない。
町の中央にある古い時計塔が止まった日からだ、と言う人もいれば、海の向こうで何かが壊れたのだ、と囁く人もいる。
けれど確かなのは、私たちが「今」だと思って生きている時間が、実は少し前のものだということだった。
私は郵便局で働いている。
ここでは普通の手紙に混じって、「未来からの通知」が届く。
「三年後、あなたはこの町を離れます」
「来週、あなたは誰かを許すでしょう」
そんな紙切れが、決まって本来の出来事より遅れて配達される。
内容を読んだ頃には、もうその未来は始まっているか、あるいは終わっている。
だから人々は、未来を待たなくなった。
喜びも悲しみも、届いたときには少し色あせている。
誰かの結婚の知らせが届く頃には、もう離婚の話題が出ているし、夢が叶う通知を読む頃には、その夢に疲れ切っている。
それでも、私は手紙を配り続けた。
遅れてきた未来にも、意味があると信じたかったから。
ある日、一通の封筒が私の名前で届いた。
「十年後、あなたは大切な人を失います」
日付を見ると、それは九年前の消印だった。
私は、その「大切な人」が誰なのか分からないまま生きてきたらしい。
失った記憶も、悲しみも、もう手元にはない。
ただ、胸の奥に小さな空白だけが残っている。
その夜、時計塔の下で、私は立ち止まった。
止まったままの針を見上げながら、初めて思った。
未来が遅れてくるのではない。
私たちが、未来を受け取るのを遅らせているのだと。
過去に追いつかれるのが怖くて、悲しみを直視するのが怖くて、時間そのものを置き去りにしてきたのだ。
翌朝、私は郵便局を辞め、町を出る準備を始めた。
未来がいつ来るか分からなくてもいい。
遅れて届くなら、自分から迎えに行けばいい。
駅を出る直前、最後の手紙が届いた。
「今、あなたは未来に追いつきました」
それは消印のない、真っ白な封筒だった。
中身は空だったけれど、私はそれを胸にしまい、ゆっくりと歩き出した。
遅れてきた未来の、その先へ。


