夜になると、この町では未完の話が増える。
たとえば、駅前の古い掲示板に貼られたままの募集広告。
「至急。続きを探しています。」とだけ書かれ、連絡先は途中で消えている。
雨ににじんだ文字は、まるで書いた本人が言葉を言い切れなかったみたいだ。
僕は未完の話を集める仕事をしている。
正確には「終わらなかった物語」を保管する係だ。
図書館の地下三階、窓のない部屋に、背表紙のない本が並んでいる。
タイトルはなく、最初の一文だけが貼られている。
――あの日、彼女は振り返った。
――ドアの向こうで、確かに名前を呼ぶ声がした。
――時計は三時十五分で止まっていた。
それらはどれも、途中で終わっている。
誰かが続きを書くはずだったのに、書かなかった話。
あるいは、書けなかった話。
ある晩、僕は一冊の本を開いた。
紙は新しく、インクも乾ききっていない。
最初の一文は、こうだった。
――これは、まだ終わっていない話だ。
妙に胸がざわついた。
読み進めると、主人公は僕と同じ仕事をしていて、同じ地下室にいて、同じように未完の話に囲まれていた。
違うのは、彼が「続きを見つける方法」を知っていることだった。
ページの途中で、文字が途切れる。
――続きを知りたければ、夜の終電に乗れ。
その瞬間、地下室の電灯が一度だけ瞬いた。
停電ではない。
ただ、誰かが合図を送ったような、短い暗闇だった。
仕事を終え、僕は駅へ向かった。
終電のホームには、僕以外に誰もいない。
電車は音もなく滑り込み、扉が開いた。
車内には、背表紙のない本を抱えた人たちが座っていた。
みな、顔がどこか曖昧だ。
空いている席に座ると、隣の人が小さな声で言った。
「あなたも、続きを探しているんですか」
頷くと、その人は本を差し出した。
表紙のない、見覚えのある装丁。
最初の一文だけが貼られている。
――あの日、僕は続きを書かなかった。
心臓が跳ねた。
僕自身の未完の話だ。
思い出せないまま、ずっと棚の奥に押し込んでいた物語。
電車が動き出す。
窓の外は暗く、駅名も表示されない。
ページをめくると、白紙が続いている。
だが、よく見ると、かすかな文字の跡がある。
消されたのではない。
まだ書かれていないだけだ。
「続きを書くんですか」と誰かが聞いた。
ペンはない。
インクもない。
あるのは、書かなかった理由と、書きたい気持ちだけだ。
電車は減速し、どこかの駅に入ろうとしている。
アナウンスが流れる。
「次は――」
そこで音声は途切れた。
駅名は告げられない。
扉が開き、白い光が差し込む。
降りるべきか、残るべきか。
手の中の本は、まだ軽い。
これは、まだ終わっていない話だ。
どこで終わらせるかは、たぶん――今、決まる。


