雪は音を飲み込む。
白い森に、しんとした静けさが降り積もっていた。
――本当なら、いまごろは夢の底にいるはずだった。
クマのトオルは、大きなあくびをひとつして、鼻先を赤くしながら空を見上げた。
冬眠のために作ったはずの巣穴は、落ちてきた古い木の枝でつぶれてしまい、そのまま慌てて逃げ出したのだ。
もう一度掘りなおすには、雪は深く、風は冷たく、夜は長すぎた。
「どこか、あたたかいところはないかなあ」
つぶやいても答える者はいない。
森の仲間たちはみな眠りにつき、あるいは遠くへ渡り、あるいは雪の下に隠れている。
トオルは、もこもこの体を震わせながら、白い世界へと足を踏み出した。
最初に出会ったのは、凍った川だった。
透明な氷の下を、ゆっくり水が流れている。
氷の上をのぞき込んでいると、小さな影が揺れた。
「そんな顔をして、どうしたの?」
ひび割れた氷の隙間から、小さな魚が声をかけてきた。
「冬眠しそこねちゃってさ。寝床を探してるんだ」
「ぼくらの世界は冷たいよ。でも流れていれば凍らない。きみも、動き続けてみたらどうだい?」
トオルは苦笑した。
魚みたいにずっと泳いでいられたら苦労はない。
礼を言って歩き出す。
足跡は長く伸び、雪に消えてはまた刻まれる。
次に出会ったのは、雪をまとった一本のトウヒの木だった。
枝に積もった雪は灯りのないランタンのようで、風に揺れて静かにきらめく。
「重くないの?」とトオルが尋ねると、木はかすかな音で笑った。
「毎年のことさ。冬は重い。でも、その重みが春に花を咲かせるんだよ」
重み。トオルは胸の奥にそれを感じた。
眠れなかった不安、行くあてのない心細さ。
でも、その重さもいつか何かに変わるのだろうか。
夜、雪明かりの下で吹雪が強くなる。
トオルは洞窟のようなくぼみを見つけ、身を丸めた。
冷たい石に背中を預けると、遠い遠い音が聞こえた。
風の音かと思ったが、違った。
やさしく揺れる鈴のような――。
「ねえ、大丈夫?」
顔を上げると、小さなウサギがいた。
白い毛のせいで雪と一緒に見え、気づかなかった。
「冬眠し損ねたの?」とウサギは首をかしげる。
「うん」
「じゃあ、いっしょに震えていようよ。ひとりで震えるよりあたたかいから」
トオルは笑った。
こんなに小さな体で寒さに立ち向かっている。
ウサギは葉っぱでふかふかにした巣穴を少しだけ分けてくれた。
ほのかな体温が伝わり、心までぬくもる。
翌朝、空は淡い桃色に染まっていた。
遠くの山肌が光り、白の向こうに金色の筋が伸びる。
トオルは決めた。
「春を、探しに行こう」
冬眠は逃した。
でも冬は終わらないわけじゃない。
歩けば、きっと春に近づく。
雪原に新しい足跡を刻むたび、不思議と体は軽くなった。
昨日の重みが、今日の一歩に変わっていく。
森を抜け、小さな丘に出たとき、風がやわらいだ。
雪の下から、かすかな緑の匂いがした。
耳を澄ますと、土が動く微かな音。
世界は眠っているようで、ちゃんと春へ向かって準備していた。
トオルは大きく息を吸い、胸いっぱいに冬の空気を取り込んだ。
「大丈夫。ぼくも動いている」
そうつぶやくと、雪の上にどっしりと腰をおろし、そっと目を閉じた。
深い眠りではない。
風の歌や雪の光を感じる、浅いゆめのような休み。
やがて、頬をくすぐるあたたかさに気づいて目を開ける日が来るだろう。
そのとき最初に見る景色はきっと、今日より少しだけ緑色をしている。
冬眠しそこねたクマの旅は、まだ続く。
けれど、もう迷子ではなかった。


