静かな雪の夜、町の灯りが粉砂糖のように白い屋根を照らしていた。
商店街の端に、小さな古い時計屋がある。
ドアの上のリースは年季が入り、真ん中の赤いリボンだけが少し誇らしげに揺れていた。
店主の老人、榛名さんは今年も一人で店番をしていた。
棚には止まったままの時計、急ぎ足のように刻む時計、やさしく歌う鳩時計。
けれど客は少なく、今日は誰も来ないまま夜になった。
「メリークリスマス、か…」と榛名さんはつぶやき、店の奥の古い懐中時計を手に取った。
それはかつて大切な人に贈ろうとして渡せなかった時計。
開くと、薄く刻まれた「いつも一緒に」という文字が、灯りに淡く浮かぶ。
そのとき、ドアのベルがチリンと鳴った。
入ってきたのは赤いマフラーの少女だった。
頬を真っ赤にして、両手で紙袋を抱えている。
「すみません。これ、直せますか?」
袋から出てきたのは、小さな目覚まし時計。
針は同じ場所を指したまま動かない。
「祖母の時計なんです。明日、一緒にケーキを食べる約束をしました。音で起こしてあげたいんです」
少女は少し恥ずかしそうに笑った。
榛名さんは静かにうなずき、工具を手に取る。
歯車を整え、油をさし、耳を澄ませる。やがて――
コチ、コチ、コチ。
小さな鼓動がよみがえった。
少女の顔がぱっと明るくなる。
「よかった…!いくらですか?」
榛名さんは首を振った。
「代金はいらんよ。今日はクリスマスだからね。それに…時計は誰かの時間をつなぐ道具だ。君とおばあさんの時間も」
少女はしばらく黙り、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。じゃあ…これ、受け取ってください」
差し出されたのは紙袋の中のクッキー。
雪の形、星の形、少し不揃いで、優しい甘い匂いが広がる。
「手作りなんです。上手じゃないけど」
榛名さんは笑った。
「世界で一つだけの贈り物だ。いちばんいい」
少女は店を出ていき、雪の夜に小さな背中が消えていった。
ベルの音が静かに揺れる。
店に一人残り、榛名さんはクッキーを一つ口に運ぶ。
ほろりと崩れる甘さに、胸の奥で止まっていた何かが、そっと動いた気がした。
懐中時計を開く。
長く止まっていたその針も、いつのまにか微かに震えているように見えた。
「…まだ続いていたんだな」
窓の外、雪は止み、雲の切れ間から星が顔を出す。
通りのどこかで、笑い声が重なり、どこかの家で歌が始まる。
時計屋の店内では、無数の針が同じ夜を刻み始めていた。
誰かと過ごす時間も、一人で思い出に触れる時間も、どちらも確かにあたたかい。
クリスマスは、失くしたと思っていた気持ちを、そっと見つけ直す夜なのかもしれない。
榛名さんは灯りを少しだけ明るくし、扉のリースを整えた。
「メリークリスマス」
つぶやきは静かに空へ溶け、星の瞬きと重なった。
時計屋の窓には、柔らかな光が遅くまでこぼれていた。


