揺らぐ光を吹き込んで

面白い

海沿いの町に、古いガラス工房があった。
潮の匂いが風に混じって入り込み、朝の光が大きな窓から差し込むその場所で、ガラス工芸家の蒼(あおい)は一人、炉の前に立っていた。
赤く燃える炉の中で、溶けたガラスは生き物のようにゆらめく。
蒼はその揺らぎを見つめながら、ゆっくりと息を整えた。
急げばガラスは応えない。
ためらえば形を失う。
その微妙な間を探ることが、彼の日々だった。

蒼がこの町に来て十年になる。
もとは都会の工房で修業していたが、型通りの作品を量産する日々に、いつしか息苦しさを覚えるようになった。
ある日、偶然訪れたこの海辺の町で、夕暮れに輝く波を見たとき、胸の奥で何かがほどけた。
砕ける光、揺れる色。
そのすべてをガラスに閉じ込めたいと思ったのだ。

工房には観光客も時折訪れるが、蒼は多くを語らない。
ただ、ガラスが冷めるまでの時間、静かに待つ姿を見せるだけだった。
ある冬の日、近所に住む少女が工房を訪れた。
割れたガラス玉を手に、「直せますか」と小さな声で尋ねてきた。
それは亡くなった祖母が大切にしていたものだという。

蒼は首を横に振った。
「同じものには戻らない。でも、別の形にはできる」
少女は少し考え、それでもうなずいた。
蒼は溶けたガラスにその破片を加え、ゆっくりと息を吹き込んだ。
生まれたのは、小さな雫の形をしたガラスだった。
中には、かすかに元の色が残っている。

少女は目を輝かせ、「きれい」と言った。
その一言が、蒼の胸に温かく残った。
壊れたものは消えるのではなく、姿を変えて続いていく。
ガラスも、人の想いも同じなのだと、そのとき初めて腑に落ちた。

夜、工房に一人残った蒼は、新しい作品に取りかかった。
海の色を映した器。
完璧な形ではないが、光を受けるたび、違う表情を見せる。
彼はそれを棚に置き、炉の火を落とした。
静まり返った工房で、冷えていくガラスが小さく音を立てる。
その音を聞きながら、蒼は思う。
自分もまた、熱と冷却を繰り返しながら、少しずつ形を得てきたのだと。
明日もまた火を入れ、揺らぐ光と向き合う。
その繰り返しの中に、彼の生き方があった。